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DINKsとして生きるか散々悩んでいた私が、子どもを産んだ-3/1ちょっと追記-

元々、子どものいない生活もアリだなって思っていたし、積極的に夫婦2人の生活を望んでいた時期もあった。「自分の人生を自分の自己実現のためだけに生きていきたい!!」と。自分のやりたいことだけして生きていきたいと。

精神的にも結構不安定で、子どもを育てるのは難しいだろうなって考えてたし、何より稼いだお金が子どもの教育費等に消えていくことが嫌だと感じていた。

なぜ子どもを望む決断をしたか

それでも子どもを望む方向に歩んだのは、夫は子どもを望んでいたし、私も絶対に子どもが欲しくない!!とは言い切れなかったから。私が妊娠、子育てを経験してみたいという気持ちが多少あった(未経験なことに劣等感を感じる…という言い方も多少しっくりくる)し、子どものいない人生に後悔しないとも言い切れなかった。

積極的に欲しい!!とまではいかないからこそ、余計に悩んでいたけど、私に子どもを望む気持ちが少しでもあるのであれば、夫との話し合いは「子どもを望むか or 望まないか」という話し合いよりも「どうしたら私が妊娠出産子育ての不安を軽減できるのか」に焦点を当てた方がいいと思って、人生の舵をきった。

それから、今の職場に異動になって、毎日色んな保護者と判定していると、時折素晴らしい夫婦(あくまで私基準になるが、雰囲気がとても穏やかで落ち着いている)とお会いする機会がある。それらの共通点としては「夫が子育てに協力的で優しい」ということだった。私の夫は、きっと仕事で出会うような「子育てに協力的で優しい」夫になれること間違いない、と思えるようになった。私だけでなく、夫と一緒であれば、大丈夫!!と、私の妊娠出産子育てへの不安がグッと減ったのだ。

実際に子どもが生まれて(今日で気づいたら生後1ヶ月だった!)、思うことは、夫が協力的であれば、DINKsの時に不安視していたことは案外乗り切れるかもしれないぁって気持ち。もちろん「お金がかかるのはこれからだし、今は夫婦2人育休中だからそう思えるんだよ」と反論されれば「おっしゃる通りです。」としか言えないんだけど、こういうのは根拠のない自信も大事だよね笑。


これから保育所に通うようになれば、ワーママとしてバタバタライフだろうし(週3時短勤務予定だけど)、いわゆる”保育所の洗礼”というものを受けまくるのだろう。子どもの体調不良が一番懸念事項、、、。夜間や休日に高熱等(熱性けいれんも怖い)が出るのも心配だし、子どもに係る病院関係者に冷たく対応されて病む未来を想像しては今から気分が憂鬱になる。そもそも緊急で今日中に受診したいと思っているときに、診てくれる病院が見つかるかの心配もある。感染症(ウイルス性胃腸炎、インフル、コロナ、RS、)に罹ったときは、家族で総倒れする未来しか見えてなくて、今からビクビクしている。。。


①子どもを愛せない、可愛いと思えない、生まなければ良かった、思うのではないか

まぁ、本人に気持ちが伝わらなければ、そういう気持ちになるのもアリなのでは、と思う。

自分の心身に余裕がある状態で、子ども1歳前後で歩く姿もヨチヨチで、ムチムチボディで見た目もキュート。言動も「ママだいすき~」と言って、走ってぎゅってしてくれる、みたいな最高なシチュエーションであれば、「我が子、可愛い、最高…」と思える人は、それなりに居るのではないだろうか。少なくとも私はそう。そう思えるのであれば、十分なのではないか、と思う。割合的にはごく僅かでも、我が子のことを”可愛い、愛おしい”と思う瞬間があれば十分だと、出産後は特に思うようになった。まぁ産んでしまったわけだから、そう思って、自分を肯定して生きていくしかないのかも。でも無理に思い込もうとしてるってわけじゃなくて、自然とそう考えられるようになっていることは間違いない。

妊娠(性格には妊活)前は、子どもは可愛いときもあるけど、しんどいこと、イライラすることの方が圧倒的に多いし、大変。→だから自分には出来ないし、子どもを愛せないかもしれないし、生んでからは戻れない。子どもは(生める身体だったとしても)生まないでおこう、という思考だった。

現在は、前は、子どもは可愛いときもあるけど、しんどいこと、イライラすることの方が圧倒的に多いし、大変。→でも、さっき(もしくは昨日、一昨日になることもあるけど…)は可愛いと思える瞬間があったし、子どものことは愛せてるよ、大丈夫!!!って感じ。

他人より子どもと離れる時間を多めに確保するように、事前に調整している。娘をお世話するときには、出来る限り余裕のある状態を出来る限りキープ。自分の子どもに対するキャパを考えて行動している。

恥ずかしいから、夫がいない時間にしているのだけど笑、我が子を抱っこしながら毎日「○○ちゃんは、私にとって大切な家族だよ。今日も生きててくれてありがとう。」と伝えている。余裕があれば、そこに「大好きだよ」って言葉も付け加える。大好きだと正直思えないときは、無理しないように今はしている。

↓ちょっとテーマは逸れるけど詳しく書いてみた記事。

産むべきではなかった…と考えることもある

自分自身が心身共に不調なときに、大声で泣き続けられるのはやはり非常に辛い。たとえ夫が対応していて自分は布団にこもっていたとしても辛いのだ。イヤフォンで好きな音楽を聴き、泣き声をシャットアウトしていたとしても、そういう不調なときは”夫に子どもの対応を丸投げするダメな妻””子どもの存在が邪魔に感じてしまうダメな母” と罪悪感に苛まれて、負のループから抜け出すことができない。

不調なときに少しでも客観的に「いや、あんた、その思考で何度も絶望的…って思っては、その後ケロッと戻ってるで」って、思えれば楽なんだろうけど、なぜかそれが難しいことも多いのだ。夫婦2人のときは、どん底まで落ちてても、そうやって考えられることが度々あったが、今は子どもの泣き声が聞こえ続ける空間だからか、なかなか難しい。

追い詰められて、子どもの口を塞いで、首を絞めて、殺してしまう、という親の気持ちも分からなくはない(決してその言動を容認、賛同しているわけではないことは明記していくが)。

⇑のような酷い状態のとき「夫と2人の生活が良かった」「やっぱり産むんじゃなかった」「私は母親になれる器ではなかった」と思う(典型的な産後うつ状態だが)。けれど、じゃあ、本当に娘が数時間後に亡くなったしまったら…と考えると、やはり悲しい(悲しいという言葉で片付けられないほどの絶縁を味わうだろうな)と思うし、立ち直れないくらい落ち込んでしまうな、と私は思える(私よりもっと追い詰められている人は、そう思えない人も居るのだろうけど)。

だから、私自身がどんなにキツイ状況のときも私にとって娘は「大切な家族」であって「生きていて欲しい存在」ということは、噓偽りない気持ちなのだなって。だからそっくりそのまま、その言葉を娘に伝えるように意識している。

子どもは大人が思うよりずっと分かってて、親の気持ちを察することが出来る存在だと思っているので、気を付けないといけないことも多いけど、夫に支えてもらいながらであれば、”可愛い” ”愛おしい” の気持ちを失わずに、生きていけるのではないかと思う。

母親は24H頑張って母業をやり続ける必要があるのか

必要以上に子どもを不安にさせたくはないし、理想は毎日笑顔いっぱい、元気、気持ちのムラがない一定の母、になりたいけど、それは私には絶対に無理なので、正直に娘に自分の気持ちを適度に伝えつつ(例えば「今日、ママお仕事で嫌なことがあって落ち込んでるから元気がないの」「今日は~~だから、ドキドキしてるんだ」とか)、相談しつつ(娘の発達過程や性格を鑑みながら)、共に成長していきたいと、これは妊娠前からずっと思っている。

中学生のとき、人間関係で思い悩んでいて、家で暗い顔をしている日が続いていたら母から「子どもを持ったら、そんなずっと悲しんでいられないんだから(だから早く立ち直れ、そんなことで落ち込んでたら今後やっていけないぞ、というニュアンス)」で、突然怒られたことがあった。

私はそれを言われた直後から「母であっても落ち込む日が数日くらい続いて良いのでは…」と思っていた。それで家事が回らないのであれば、誰か家事代行に頼む(お金との兼ね合いや頼める人がいないかもだけど)のもありだし、夫に最悪丸投げもありだし、と思う。子どもに心配をかけるのも、まぁ、ある程度、アリなのではと個人的には思う。少なくとも私は中1のときに母と父の会話を聞いて「そんなに悩んでたんだ、父だけじゃなくて、私にも相談してくれたら良かったのに…私って信用できないのかな」って落ち込んだことがあった。

勿論、夫と教育観のすり合わせが必要だと思う。話し合うことで、極端な対応を避けることができるし、自分の経験に基づいた独りよがりな考えが改められることもある。だからこそ、夫とは対等に話し合える関係性であることが大切だし、歩み寄る気遣いを継続できるかも大切。そして育児に協力できる会社であることも重要。それを全てクリアできている環境ってあんまり無いと思うし、夫に感謝しなければ。

②自分のためにお金を使えなくなるのが嫌

これに関しては、まだ入学金、授業料、など、まとまったお金を支払ったことがないので、あまり参考にならないのかもしれないが…でも、現時点でも出産費用、赤ちゃんグッズなどで数十万の支出があることは間違いないよね。

夫のおかげで特に、今のところ不自由は感じてないというのが正直な感想。

私たち夫婦は財布を分けているような、分けていないような…のような感じなのだが(どういうこと笑)。

全体の管理は夫が担当している(夫はお金に対する興味関心がすごくて本当に尊敬している。ケチとかそういうことではなく、とにかく投資や資産運用とかに興味があって、勉強熱心。)。私は毎月、自分の口座から決められた金額を夫に送金する形。残金は私の自由に使わせてもらっている。食料や日用品の買い出しは夫の口座に紐づいている家族カードで決済。個人的趣味は私個人の口座から決済している。夫は、私が趣味や余暇活動にどれだけお金をつぎ込もうが口出しはしない。私も夫に送金する金額に納得しているし、その金額を差し引いて、手元に残った金額で十分自由な生活をさせてもらっている。

将来の生活を考えての貯蓄、夫が万が一突然亡くなったときのことも踏まえて、全て夫が管理している(私にも都度説明してくれる)ので、私は私だけのことを考えて、お金の管理をしているので基本的には楽。

私は基本的に将来の人生設計などを考えることは非常に得意なのだが、お金のことに関してはサッパリ計画性がない笑(普通にダメすぎる)。逆に夫は、もう思い描いてた将来を全て実現してしまったらしく、特にこれといった強い意向や希望はない(ちなみにメーカー勤務でロボットを作り、結婚して子育てをしながら家族で幸せに生きる、ことが将来の夢だったらしい)。

自然と完璧な役割分担が出来ているからなのか、本当に楽なのだ。

今後の子育てのスケジュール(何月に何をやるか)などは全て基本的に私が考える。夫に相談すれば一緒に真剣に考えてくれているので、関心がないのか、などと不満に思うこともないし、自分の好きなように予定を組めるので私はストレスフリー。夫は特にこれといった希望もないので、提案には全面的に賛成してくれることがほとんど。スケジュールにある予定でまとまった金額が必要(例えば×年度に引越しとか)だったとしても、それは基本的に夫が考えてくれる。

私は新しいことを始める、挑戦することは比較的得意。新しく始めたことを継続し安定させるのは夫の方が得意。こうやって、家庭運営が上手くいくようになってるらしい。

そもそも子ども産むことは、私が妊娠出産を経験してみたいって思ったからっていう理由もあるし、私は自分の自己実現のためだけに生きて、私のやりたいことだけして、生き続けてるなって気がする。

娘が起きたらもういいや。ここで終わり笑。









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