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他己紹介

「他人から、自分はどう見えているのか」を考えてみる
まんがでわかる 感情の整理ができる人は、うまくいく
著者:有川真由美、まんが:Jam

昨晩、読んでいるページに書いてあったので、度々このnoteに登場するパートナーに、どう見えているのか早速聞いてみた。そのときに言われた言葉を備忘録としてまとめてみる。

「悲観的だと思う」

一言目はこれだった。よく最悪の事態を想定して病んでいることが多いらしい。あ、その前に「自由奔放」「猫みたい」と言われた笑。猫みたいの理由は「自由だから。」とのこと。いや、一緒やないか!

パートナー曰く、最悪の事態を想定しておくことは大切だし、それ自体は良いことだけど『発生する確率×(発生したときの)深刻度』を考えることが大事とのこと。起こる確率がほぼないことで、そこまで病む必要はないと。まあ自覚はある。

「0か100か思考」
「人の好き嫌いがはっきりしている」 

これも自覚しかない。世の中、白黒はっきりつけられないことが多く、グレーゾーンを認めてグラデーションを生きていく方が生きやすいのだろう。頑張ってその思考になろうと、もう約10年経つ。当初よりは随分マシになったし、生きやすくなったなぁ…と思っていたけど、他人からしたらまだまだらしい。
高校時代の恩師に「あなたには好きでも嫌いでもないって人が居ない。」と言われたことがある。言葉は少し悪いが ”無関心” “どうでもいい” と思える人がいないってことだろう。小学校時代の経験からか、人より非常に視野が広い。常に自分と関係ない場面でも視野に入っていて、上司でもないのに、組織の全体を把握している。無意識に自分が関わっていない場面での他人の言動がよく入ってくる。その中で”あの人こんな言葉遣いするんだ” “あの人はこんな風に考えるんだ” が積み重なり、自分の中で身近にいる人の一人ひとりのプロファイリングができてくる。多かれ少なかれ、皆んなそうなんだと思うけど、恐らくこれが人よりもかなり人数が多いし、内容も濃い(結構内容も正確だという自負もある)。ちなみに、記憶力もいつも人から驚かれるくらい良いから忘れることはほぼない。プロファイリングの結果をもとに、私基準の好き・嫌いが出来上がる。だから私にとって、どうでも良い人や無関心になれる人が存在しない気がする。これが良いように働いてくれることもあるけど、意識しないと恐らく非常にエネルギーを消費してしまう。
これからは意識して、私の生活に直結しない人に必要以上にエネルギーを使わないように心掛けてみようかな。

ちなみに、パートナーは嫌いな人は、ほとんどいないらしい。ほとんど、も無いかも。「あの人のここは嫌だな、面倒くさいな。」はあるけど、それで嫌いとはならないと。そこを切り離して考えられるんだって。すごい。みんなこんなもんなの?笑

「先々のことを考えまくっている。」

なんとなく”考え過ぎてる” だとネガティブに聞こえるから、”考えまくっている” にしてみた笑(意地)。

少し本筋から逸れるけど、残しておきたい。 


似たような感じで、「凄く分析が必要なことと、直感で決めてることがあるけど、その判断基準が俺には分からない。」と言われた。これは以前から度々言われる。

考えまくるのはお互い様だと私は思っている。その場限りで影響がないことは、大概パートナーの方が長く考えている。外食でのメニューや、外出の準備も結構時間がかかる。

引越し後の家具選びも、パートナーが相当時間をかけて選んでいた。私は正直どうでも良かった(訳ではないけど、パートナーがそれだけ時間をかけて選んだ物に悪いものはないだろうという考えだった)ので、提案されたものは、それっぽく相槌を打ちながら”早く決めてくれないかなぁ〜”なんて思っていた笑(ごめんよ)。

あとは、パートナーと出会う前にメッセージで何度かやり取りをしていたのだが、ある日突然出会う前に”この人と絶対結婚する!” と強く意気込んでいた、というか確信に近い何かがあった。実際に会ってからは、今のパートナーと結婚するために猪突猛進だった。本当に猪突猛進という言葉がピッタリなくらい強引だった…笑。パートナーからしたら、この直感は信じられないらしい。何度も言われる。

それだけ、考えることに関しては、考える分野に差があるだけで、同じくらい考えていると思う。似たり寄ったりだ。だからパートナーとして生活が成り立っているのだと思う。


それぐらい、お互い十分過ぎるくらい物事を考えられる性格だが、パートナーからみると、私はパートナー以上に先々のことを考えまくっているらしい。

私は防げるアクシデントは極力防げるように努力しておきたいし、先々のことを考えて、”あの時、〇〇しとけば良かった〜”を極力防ぎたいという気持ちが強い。

例えば40代半ば頃になって、気づいたら何かしたらの病が進行していて余命3ヶ月だった…とか。人生には予期せぬ事態が本当に沢山あるけど、例えば定期健診を受けて早期発見できる病だったとしたら、出来る限り進行を防ぎたいと考えている。仕事でも、①自分の仕事上でのやりたいこと、②実際体調を崩さずに無理なく出来そうな仕事、③28歳くらいで出産したい等のライフプラン、④会社の大体の人事配置の傾向、の主に4つをアホほど分析して、先々の人生を考えている。

パートナーから「人生なんて、そんなに考えても予想できないことばっかりだから。」「そう思っていると、人生何が起きても大概は動じない。」と言われた。まあ、たしかにその通りなんだけど、私はどうしても「先々のことを考えて、出来る限り、計画的により良い人生を歩みたい。」と考える。

私みたいな考えを持って、計画的に大きな夢や野望を少しずつ叶えていけるのも大事な能力だと思うし、パートナーみたいに、人生何が起きても動じず、どっしりと構えておけるのも一つ大事なことだなと思う。

パートナーが、すっごく楽観的で、行き当たりばったりのタイプだったら同意できないだろう。けれど基本的な性格が似ていて、熟考するタイプであるからこそ、私はパートナーの考えを素直に認めることができる。パートナーは先月、怒涛のアクシデント(本人の言葉をそのまま使う)に見舞われたが、自身が思っていたほどダメージを受けていないらしい。たしかに私は先月かなり落ち込みが激しかったけど、そんな中でもパートナーがいつも通りで居てくれて、非常に助けられた。先月だけじゃなく、出会ってから非常に寛大で包容力のあるパートナーに常に助けられている。

ちなみにパートナーは、私の継続できる力や、直ぐ決断して行動に移す姿を尊敬してくれているらしい。
こうしてお互いに良い影響を受けながら、これからも共に人生を歩んでいきたいなぁ。

「自分らが思っているより、他の人はそんなに考えてないよ。」

さっきの話と繋がっているが、これも言われた。

パートナーも私も、世間一般では”非常に真面目”と評価される。自分が考える普通の頑張り=非常に頑張り過ぎている、となるタイプで ”頑張らない” を意識しないと精神的に体調を崩すリスクが高い傾向にある。

「自分が色んなことを深く考えて、行動するのは自由だけど、相手は恐らくそこまで深く考えていない。相手にその価値観を求めると、自分が苦しくなる。」とのこと。

まあ、そんなこと分かっている…。でも、自分としては求めているつもりはないけど、パートナーがそう言うということは、私が時折そうやって苦しんでいるのだろう。自覚があるような、ないような。

誰しも無意識のうちに、自分の普通=他者の普通 と思って生きていくし、自分の価値観でしか、人を判断できないからね。諦めというか、そのことを認めつつ、パートナーから言われたことを心掛けていけたらいいな。

そうしたら、今より少し、生きやすい人生になるかもしれんなぁ。思ったより、ずっと長くなったけど、他己紹介でした。

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