見出し画像

おっきかきたちの話

ここ数日、筆が乗らない。
noteに色々書く!!と決めてから2週間ほど経ったのだろうか。あんなにスラスラ馬鹿みたいに進めていた筆がピタッと止まった。書き始めはするのだが同じようなところでピタッと筆が止まる。どうしても書けない。

「無理して書かなくてもいい」

そう思っている自分と書き続けたい!!と自分の中で気持ちが相反している。
おそらくそんなに無理して書くものじゃないよと思われる方もいるかもしれないが、書きたいのだ。いや、どちらかというと書かなくてはいけないと半ば強迫観念的なものに苛まれているのかもしれない。

分からない。
思えば昔から自分の気持ちを外に吐露するのが苦手な子供だった。誰かに気持ちを知られるのが恥ずかしい!というよりは分からないのだ。
気持ちというものは形になることはない。目に見えないもの、聞こえないものを自分の言葉、形にならないものに表すのは苦手だ。
なので話すよりは文字に残す方がそこからまた自分のモヤッとした何かに近づける修正作業が容易であるから好きだ。話すとこうはならない。

なんかこの文章もお蔵入りになりそうだなと思い、ベッドに身を沈める。電気も消す。
こういう気持ちの時はできるだけ暗闇で身を横たえてじっとしている方がいい。
こういう時には野生の勘みたいなものが働く。太鼓の昔動物であった時の名残なのだろうか。そう考えると無いはずの尻尾がゆっくりと動く気がした。

目を瞑って数秒、眠れそうで眠れない。
13時頃から17時まで意識を飛ばしていたのが関係するのかもしれない。意識を飛ばしていたというとなにか不穏な匂いがするが、所謂お昼寝というやつである。久しぶりにお昼寝をした。何と気持ちよかったのだろうか。

ふと携帯が振動する。
友人からラインが来ていた。
どうやら私が送りつけた牡蠣たちの漫画を読んだ感想を送ってくれたらしい。
コメントとスタンプだった。もしかするとあまり興味がないのかもしれないが、優しいからちゃんとコメントをしてくれたらしい。ありがとう友人。

そう。
最近Twitterて見つけた漫画にハマっている。「れれれ」さんというゆるいウツボの漫画を描いている人。今年に入ってからなのだろうか、牡蠣の漫画も描いている。
牡蠣たちは小さくて、弱くて、それでいて愛らしい。大きな牡蠣と暮らしているのだろうか?大きな牡蠣は統制を取り小さな牡蠣が持っている無駄なものを取り上げたりしているが実は優しい。

その牡蠣の漫画を最近泣きながら読んでいる。多くの人が気持ち悪いと思うだろう。だがどうしても大きな牡蠣に感情移入してしまって涙が出てしまうのだ。何か溜まってるのだろうか。

しかしそれはそれより、牡蠣の漫画は愛らしくて癒されるのでぜひお勧めしたい。
小さな牡蠣たちは大きな牡蠣のことを「おっきかき」と呼んで慕っている。たまらなく可愛い。LINEスタンプも買ってしまった。小さな牡蠣が「おっきかきー!」と呼んでいるものを使ってしまう。可愛い、愛らしい。

ぜひ私の周りでおっきかきフィーバーが訪れますように。

そして願わくば私の周りの優しい人たちが癒されますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?