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鬼滅の刃と幸福論

鬼滅の刃、遂に最終巻が発売されました。遅ればせながら漸く入手し、読みました。マンガ作品で1巻分、最初から最後まで涙が止まらないのは初めての経験だったかもしれません。ぐうの音も出ない名作でした。

さて、その中でも特に最後印象的だったシーンがあります。極力ネタバレを避けていきたいと思います。

最後のシーンでワニ先生が描いた幸福とは?

最後のシーンで、ワニ先生は幸福について描いています。これは鬼滅の刃全体を通したテーマを更に幸福論に進化させています。つまり、鬼滅の刃では、

無惨=永遠の命を欲する存在であり、我欲の塊。全ては常に自分のためにある。
産屋敷家はじめ鬼殺隊=想いこそ永遠。命は繋ぐものであり、自己犠牲も厭わない。

をこれでもかという説得力を持って明確に対比して描いています。これをラストでは幸福論にも落とし込まれていました。つまり、幸福とは他人を蹴落としてでも自分の欲求を満たすものではなく、周りとの関係性の中で育むとてもシンプルで目の前にあるものであると。

鬼殺隊という死と隣り合わせの仕事ですので、隊士は死ぬことを事前に受け入れています。そして自分の命以上に、想いを繋ぐことを優先します。これは産屋敷家も勿論同様であり、お屋形様と少なくとも柱には死への恐怖感はありません。亡くなった柱は自らの命の尽きる瞬間を受け入れ、静かに亡くなっていくのです。よって、幸福とは自分自身が贅沢な生活ができるとか、有名になるとか、人から愛されるとかではなく、繋いでいく誰かが幸せであればそれを優先するという博愛の精神を重視しています。

甲本ヒロトさんの名言「夢は何ですか?」

少し話が飛びますが、先日ダウンタウンの松本さん、元SMAPの中居さんが司会のトーク番組がありました。ゲストは甲本ヒロトさんと菅田将暉さん。甲本さんは夢についてこう言いました。

「夢は何ですか?と聞かれたときに、バンドをやってお金持ちになりたいとか有名になりたいとか2つ言うけど、1こにしとけ。お金持ちになりたかったら不動産の勉強してもなれるし、有名になりたければ悪いことして新聞に載れば有名になれる。僕はそういう意味では10代でバンドをやった時点で夢が叶った。今もやってるからずっと叶っている状態。あの頃が良かったとか思わない、今がずっと楽しい」(筆者にてやや編集、そのまま書き起こしではありません)

甲本ヒロトさんは本当に頭の良い方で、仰っている話の一つ一つに含蓄がありますが、これもまさに幸福の真髄を語っていると思っています。ヒロトさんの言う2つ目の夢は後からついてくるもの。バンドをやった結果、お金持ちになれるかもしれない。有名になれるかもしれない。だけれども、本質的な夢は何かと言うと、バンドをやること。

これと全く同じことが幸福にも言えます。本当の幸福は仲間とバンドをやるという極めてシンプルなこと。その結果、お金がもらえたり人から称賛されたりするかもしれない。だけれども、お金や名誉が幸福だと勘違いしてしまうと、道を誤ってしまうかもしれない。

僭越ながら、自分の経験として感じる幸福

僕自身、30代に入るまでまさに誤った幸福観を持っていました。人から褒められたり、地位が上がったり、お金が増えたり。そうすれば生活は豊かになり幸福になる。これは、案外殆どの人がそう思っているのかもしれません。少なくとも僕の生きてきた世代では、おそらく多くの人がそう思っていました。そういうものと刷り込まれてきました。これらを得るには良い学校に進学し、官公庁や大企業に就職すること。もしくは六本木ヒルズに拠点を置くようなベンチャーを創業すること。

だけれども、幸福の本質はそういうものではなかったのです。今、僕は正直なところ、人生で一番幸せです。ただ、経歴を紐解くと、今は負け犬みたいなポジションにいます。大企業に入るも人生の絶望を味わい、一念発起して地方で起業しお金や名誉を得ようとするも挫折。たまたま拾われたところで再びサラリーマンとして席を置く。収入は大企業時代から落ちていますので、おそらく当時の同期と比べたらかなり差がついているかと思います。なんかこの道歩みたくないなあと思う経歴ですよね?(笑)少なくとも、当時の僕がこの先の人生を見たら、絶望していたかもしれません。

ですが、なぜか一番幸せなのです。たまたまそこで出会った奥さんと縁があり結婚し、子供も授かる。今はいわゆる普通のサラリーマン同様、住宅ローンを払いながら子供を育てつつ、仕事をしているだけ。元々人とはちょっと違ったことをしようとしていた人間が、極めて一般的な典型的なサラリーマン人生を送っています。それなのに、実は夢を追い求めていた時よりもよっぽど幸福。こう書くと、自分でもすごく不思議な感覚になります。

そこで僕が見出した答えが、幸福の本質とはお金や地位や名誉ではなく、近くに居る人と楽しく過ごすことであると。そして願わくば幸福になって欲しいとその人を想うこと。これが今の家族との生活でようやく理解しました。本当にとてもシンプルで目の前にあることです。ヒロトさんの夢はバンドをやることであるのと同じ。そこから先のものを追い求めだすと、人はどんどんしんどくなります。上手く行けばいいかもしれませんが、どこかで必ず挫折は来るし、シンプルな価値観(幸福観)を持っていないと、とても苦しくなります。

鬼滅の刃が最初から最後まで描き続けた幸福の本質

話を戻します。鬼滅の刃でも、最後ワニ先生が描いたのは凄くシンプルで目の前にある幸福について。他人を思いやる気持ち。自己犠牲の精神。実は第1巻の第1話でもこれは描かれていました。炭治郎がふもとの町まで炭を売りに行くとき、「生活は楽じゃないけど幸せだな」といった描写がありました。これこそがまさに原点であり、ワニ先生がずっと描いてきた幸福論なのです。つまるところ、この幸せの原点に戻るために、鬼舞辻無惨を倒して禰豆子を人間に戻そうとするのです。実は炭治郎の幸福は無惨を倒すことではなかったのです(あくまで無惨打倒は手段)。亡くなってしまった家族は戻らないけど、残された禰豆子と一緒にあの生活に戻りたい。それが唯一にして最大の動機なのです。

鬼滅の刃は本当に心に響く作品でした。こういう作品に出会えたこともまた、僕にとってはとても有難く、幸せなことであったと思います。特に若い皆さんは是非今一度自分の幸福について考えて欲しいと思います。若い頃、見誤った僕ですので、少しでも僕の失敗を反面教師にしてもらえれば幸いです。

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