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加害者の心理を擁護するということ

「加害者の心理を擁護する」ことはきっと「母親が子供を憎む」ことと同じくらいの「あってはならない暗黙の掟」だから触れてはならないし人に言ってはならない

理不尽な殺傷事件を知るたびその被害者のことより加害者の側の心理を気にしてしまう
そこまでどす黒くなって生きることが地獄であっただろう心の闇を
自分も一歩踏み間違えればそちら側だったことを
今でも無差別に黒い感情が沸くことがあることを

もののけ姫に描かれたおっことぬしが恨みつらみの闇に取り込まれて我を失ったように、
心は一点を見つめてそこから逃げられなくなることがある。そうなると世の中の全てが憎くて仕方がない。なんの関わりもない人の行動が怒りという紙切れの端にチラリと触れて憤怒に変わる瞬間が。自分の生きていることも自分に関わる全てのことも何もかもが嫌になる

感情のコントロールができない苦しさを少しだけ知っている
少しだけなのにその苦しさがどれほどのものだったかを語ることができない
狂ってしまう心の辛さはどれだけのものだろう

けれどそれを思いやることはこの世の中では許されない

かつて母性神話があった
母は子を大切に思うのが当たり前で、まさか自分のコンプレックスを子供に当てつけるなんてことはありえないという神話だった
だから虐待など起こり得ることではなかったが、事実起こっているから子供の心は「自分が全て悪いのだ」と思うしかない
毒親、とかインナーチャイルド、とかいう単語が有名になって、ニュースでも虐待が頻繁に取り上げられるようになって、「大人は見ないふりをする虐待の事実」を見直される時代になった

まるで「最近、子供をいじめる親が増えてきた」ように報道されていることは目をつぶっても、やっと母性神話の崩れる時代がきて
母親だって一人の人間で、誰でもが子供を心から愛せるわけではないことを正面から見ることができる人が増えてきた

一人の大学生が明け方、交番にやってきて、警官を刺殺した事件があった
私は身近で起きたその事件を聞いて、大学生がどんな思いでその日に至ったかを想像した
そして自分にも、誰でもいいから殺めて自分も死にたいと考えていた時期があったことを考えた
こんなことを人に言えば、「けれどあなたは実行しなかったのだから別問題だ」と笑って流されてしまう
しかし私は、コトンと落ちた心の一点から、たまたまふと視線をそらすことができただけの運が良い人間だっただけで
別問題だとはどうしても思えない

掘っても掘っても終わらないトンネルが、どこまでも終わりがない絶望が、そのことと対峙することから逃げることのできない脳の働きが、嫌で嫌でギャアと叫びたいのにできない、感情をコントロールできてしまうことが辛い、いっそ狂いたいのに狂えない、
この経験は、私だけだろうか?
私はそうは思えないのだ

誰しも蓋を開けた経験があるはずの「無差別に人を傷つけたい衝動」が、母性神話のように見てはならないものとされているだけで、そこに確実にあるはずだと思うのだ

嫉妬ややっかみや八つ当たりや、希望を失う経験のない人間なんて、この世にいるのだろうか?

闇から戻れなくなった不運を、(もしくは幸運を)私は想像して思いやる。それはこの世の中では暗黙の了解で、してはならないことだ

王様の耳はロバの耳。
王様の耳はロバの耳。
私は穴を掘り、一歩間違えば私がそちら側であった運命の違いを考える

「見えない敵に殺されたのは誰なんだ?」

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