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自分は思ったより頭が悪かった、と思った話。

 比較的学校の勉強はできた方であったので、物心ついてからこの方自分は頭がいい方の部類の人間であると思ってきた。それなりに進学し、それなりに挫折して、それ以来学びから遠ざかって過ごしてきた。

 ここ数年、子供の頃から好きだった占星術やタロットに再び興味を持ち始めた。いろいろな本、講座、ワークショップなどで学び始めたが、いまいち習得できたと胸を貼ることができない。
 また、外国で生活する期間があり、英語やらフランス語やらを学び始めたが、いまいちスムーズに使いこなすことができない。

 先日ふと、「自分は思っていたより頭が良くないな?」と自覚した。

 それはあたかも「今日の天気は晴れである」と朝焼けを見て思うかのような、あっけらかんとした気づきであった。

 そして、自由になった気がしたのである。

 今まで、「自分は頭がいい方の部類の人間である」と思っていた間は、「だから学ぶ速度も量も人より早く多くなければならない」と自分を縛っていたように思う。一度聞いたら理解して、間違うことなく使うことができる(これは受験勉強の期間に目指すことを求められていた姿でもある)。
 学校の勉強と実地の学びは種類が違うというのはそうなのかもしれないけれど。そしてもちろん、学校で勉強したことが土台になって今を過ごせているので、全く無駄だったとは思っていないけれど。

 でも、実際はそんなにスムーズに学べる人間ではない、そう引き受けたことで、むしろ理解に時間がかかることが当たり前、繰り返すことが当たり前、すぐに運用できなくて当たり前、と開き直れたのかもしれない。
 時間がかかって当然、だから泥臭く学ぶのだと。

 同じ本を何度も読み、間違えては次にどう伝えようか振り返り、すぐにできなくても良いとする。
 結果、かえって学ぶことに自然体で向き合えるようになったのだった。

 私は天才ではない。でも、学ぶことは好きである。すぐできるようにならないからといって、学ぶことを諦めようとは思わなかった。だってやりたいんだもの。知りたいんだもの。
 すぐできなくて構わない。でも人と意志の疎通ができたら嬉しいから、外国語も学び続ける。

 先日、このことを友人に話した時、「がっかりしなかった?」と聞かれた。
 しなかった。
 自分は無力であると思うことが、逆に私を楽にした。天才じゃないんだから仕方ない、地道にやるしかないし時間がかかって当たり前なんだ。

 愚者のカードの若者のように、足取り軽く無謀に学んでいこうと思ったのだった。



 ちょっとだけ、占星術的に解釈すると、年齢域で考えると乙女火星期が終わりに差し掛かり、これから長い天秤木星土星期に移行するのだけれど、私の天秤座は3ハウスなのである。バランスよく軽やかにめっちゃ学んでいくのかな、と、太陽蠍座穴蔵の民は空を見上げるのです。

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