石丸伸二は本当に相手を論破しているのか?

最近日本で最も話題にされる政治家といえば、安芸高田市長の石丸伸二氏の名前が挙がる。

都知事選に出馬して以降、様々なメディアで対談をして顔をどんどん広げているようだ。しかし、テレビでいくつかのインタビューを受けて以降、その対応が仇となって炎上騒ぎが起きている。

一部ではパワハラ男、相手を論破してマウントを取っている、という批判も起きているようだ。ネット論客の一人として地位を確立させたひろゆき氏のスタイルと重ね合わせ、石丸氏を新たな論破王として扱う向きもあるようだ。

堀江貴文氏やひろゆき氏、成田先生のようなネット論客がニューメディアを通して社会批評を行うようになってから、この論破という言葉の濫用が目立つようになった。相手との対話を打ち切るような強引な言いがかり紛いのものから、語義通りの論理的矛盾まで、同列に置くには憚られるようなものまで論破という扱いになっている。

私は比較的石丸氏に好意的な印象がある。以降の文はそれを割引て読んでいただきたい。

石丸氏は実のところ、特に都知事選に関する対応においては語義通りの意味の論破をしていないのではないか、と思っている。これは彼の主張が論理破綻していている、という意味ではなく、実際には相手の論理破綻を責めているわけではないよね、ということだ。

論理破綻を責めたてるという点では、ひろゆき氏の言論スタイルがまず思い浮かぶ。彼の言論のスタイルの代表的なものは、相手の主張する論理立ての根拠について細部から張り崩していき、論理構造の柱を抜く、というものだ。有名な「それってあなたの感想ですよね」というフレーズがある。あれは論理構造の柱に対して事実の裏付けがなくてそう思いたいだけだよね、という掘り崩しを行っているわけだ。

対して石丸氏のメディア対応では、質問や主張の前提に対して、なぜこちらが発信したものをその前提に組み込んでいないのか、という構図が多い。これは相手の論理破綻を狙っているわけではなくて、どちらかというと取引先の相手に対して、「なんで前に言ったことを踏まえて話を進めてくれないんだ」とという苦情申し立てに近い。

某元アイドルに対しての対応も、前提条件をちゃんと調べてないのは自分と議論する気ないですね、とと切って捨てたのであって、質問の論理立てそのものの批判ではない。泉氏らとの対談のときも、泉氏の捲し立てに押されこの前提部分の共有が滞ったからこその不具合だった。

両者の言論の構図の違いを見ると、石丸氏にして論破してマウントを取ろうとしている、という批判は少し的を外しているように思う。論破という言葉をあまりに安易に使いすぎた弊害だろうか。

確かに石丸氏の言論スタイルは言葉尻のキツさが目立ってしまって、相互信頼を築いてコミュケーションができないパワハラまがいのものに見えるかもしれない。しかし、この構図を理解しないままでは、論破でマウントするというイメージだけが一人歩きして、彼の政治家としてのビジョンを理解しないまま彼が嫌っているであろう前提条件の共有がされていないままの情報の受取になってしまう。

この構図を頭に入れて今一度彼の政治家としての質を判断してほしいと思う。私も石丸氏は応援しているが、彼の言論が気持ちいいから応援しているわけではない。コミュケーションの荒さでいうなら石原元都知事や麻生元首相も荒かったし。


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