インタビュー

もう終わりかけの選手の癖に、そう思う方もいると
思いますが、読むのなら、どうかそんな苛立ちを鞘に収めて
ください。

僕のことを好きなのも自由、嫌いなのも自由です。
読むのも自由ですし読まないのも自由です。
でも、嫌いな人ほど読みたがるのは何故でしょう。
分かっていますが記さず続けます。

昨日、インタビューを受けました。
昨夜のテキストに記したと思います。

話しながら頭の中で、これまでの35年間が順不同で
蘇ります。
初めてのインタビューは水道橋で、1992年高校生の
今頃でした。

沢山、布施さんからインタビューを受けてきました。
格闘技通信だけでなく、一般紙のそれも。
習志野ジム時代も、所属がなかった時代も、出稽古だけで
リングに上っていた時も、出稽古すら出来なかった時も、
学生服を着ていた時からずっと。

「この選手を取材してよかったと、着てくれたライターが
いつか、そう思ってくれるような選手を目指しなさい。」

以前記しましたが、父はデビュー当時の僕に云いました。
取材を受けるようになり、その言葉を思い出したことも、
なにか辛いことがある度にその言葉を思い出してきました。

なので、そのことを強く思います。
この人は立嶋篤史を見てきた人なのだなと、もし、そういう
箔がつくのであれば、そんな程度で申し訳ないけれど
その価値を得て欲しいなと思います。

昨夜、山田トレーナーからメールが着ました。

「僕は、自分に関わってくれた、力になってくれた方らに
それを自慢してもらえる様頑張りたいだけです。
自分を利用しようとした人以外には全員にそう思っています。
中略
自分とコンビ組んでいたことが貴方の自慢になる様に。」

そんな返事を送りました。

「引退したら100kgまで太ります。」
最後にそう添えて。

そんな冗談は、減量を生業とする競技側なら誰でも
読み取れると思います。
それが自信になってはいますが、自慢ではありません。


誰かのためになんて頑張ったことは一度もありません。
でも、自分のために頑張っている自分自身に力を貸してくれた
方らには見返りというには程遠いのかもしれませんが、
それをよかったと思って欲しいし、自慢にして欲しいと
思うのです。
そうするのにもう少しだけ頑張らないといけませんが。

ここから先は

465字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。