記憶
昔のことを何かの切っ掛けで度度思い出します。
僕だけに限ったことではなく、皆誰もでしょうが、
些細な色や匂いで、人間そこから辿って記憶が目の前に
蘇り、視界に広がります。
でも、ここ10数年から20年近い記憶がほぼありません。
あえて留めないようにしているのか、それともあえて思い出せない
ように拒んでいるのかわかりませんが、あの時どうしていた
程度の映像の履歴書程度は思い出すことが出来るのですが、
大まかすぎる記憶ですら曖昧です。
これも何かを切っ掛けに記憶の引き出しが開く時が来る
のかもしれません。
先日の記述のように思い出すことがあるのかもしれません。
閉鎖されたパチンコ店の店内の景色が目の前に浮かび、視界に
広がりました。
休憩時間前に屋上まで上がり、そこから1階1階他府県ナンバーを
与えられたボードに都道府県名を控えながら降りてきます。
店内の従業員の買う自販機で缶コーヒーを買って外に出ます。
夏は涼しく冬は暖かく、雨風も気にしなくていい店内は好きで警備員を
やっている癖に憧れの場でした。
従業員らとすれ違うと、蔑まれたかの様に思えていつも後ろめたく
そそくさと外に出ます。
それから裏口に周り非常階段下で壁によりかかり腰を下ろします。
菓子パンだったりに齧り付きながら、それを缶コーヒーで流し込みながら
スポーツ新聞に目をやり、時折、無責任にだだっ広く広がる空を眺めて
いました。
せっかくの休憩も、でも、冬場の雨の日にはちっとも嬉しくなく、
壁に身を寄せて縮こまっていました。
記憶というのは連鎖するのですね。
16年近い年月、毎日パチンコ店が視界に入るのに思い出したこと
すらありませんでしたが、先日足を運んでから思い出した記憶すらない
駐車場の休憩前の徘徊を思い出させてくれます。
そこから次次と頭の中にその出来事や感情が映し出されるのです。
大した人生ではありません。
なので、戻りたいとも繰り返したいとも思いません。
その時点からもう一度32回減量しないと今の自分にすらなれないの
なら戻りたいとも思いません。
結局そこなのです。
中学卒業して間違えて台湾に行って美味しいもの食べて
帰ってきます。
でも、それでは駄目なのです。
そこから100回も減量するのは嫌です。
今、中学生時代に戻るならキックボクシングはやらないと思います。
「おれ、ミュージシャンになる。武道館でライブやるから
着てくれよな。」
ギター弾く真似して、努力もしない口先だけで恰好つける中学生に
なります。
いいのです。
それで恰好いいと周りが云ってくれるのです。
でも、それでは駄目なのです。
減量についてだけではなく、分かりやすいので記述する
だけです。
それが凄いとは自分でも思いません。
ただ、凄く面倒臭いということだけは事実です。
100回減量しないと今の自分になれないのです。
でも、もう二度とそんなことしたくありません。
だからこのままでいいのです。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。