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ざまぁみろ!

1985年の自分に会って頭を撫でてやりたいですが、
ジムの前のホームセンターにドラえもんはいませんでした。
どこに行けば会えるのでしょうか。


幾度も記していますが、中学生の頃からの夢の1つです。


誰しもあるのではないでしょうか。
プロ野球選手になるであったり、サッカー選手になるであったり、
歌手になるでもそうですし、芸能人になるでもいいのです。

僕にもあります。
中学2年生の夏、今の自分を脱ぎたくてキックボクシングを
始めました。



「漫画になる様な選手になる。」


自伝同様、そんな夢も抱きました。
他にもこれまで幾度も記している通りです。


これまで幾つか撒いてきた種の芽が出ます。
どこまで大きく育つでしょうか。
大きなことはいいません。
でも、これがまた次への芽となり、花となり、さらなる次への
種となればいいのです。


中学生の頃からのそんな事を考えて繰り返してきました。
以前にも記した通り、何もなかったからです。
何もないなら自分が最初になればいい、そんな感覚で
やってきました。

紆余曲折あり、29歳の頃に「ざまぁみろ!」を出版しました。
でも、そんなに評価は得られませんでした。
足りない存在力の自分がいけないのです。
翌年の2冊目も同様に。


自分はこんなものなのか、幾度か割り切りましたが、でも、
納得ができる所とそうでない所があり、出来ないことについては
とことん足掻く人間性です。
立嶋篤史取扱説明書1章の第一項、中段に記されています。

芽が出なくても種は植え続ければいいのです。
努力という水を継続して撒き続けるのと同様に。

必ず出るとは限りません。
でも、継続しないと芽は出ません。

いつか、自分に気づいてくれたら過去が芽を出して連鎖するかも
しれません。
何かを切っ掛けに咲いた花が種になり、次への花になるのかも
しれません。

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248字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。