「いいか、篤史。」

父のいうことを守ってきました。


ここまで、自分の意思で選択し挫折してきた駄作そのものな
人生ですが、でも、心を支えてくれる柱を父は立ててくれました。
その言葉らがあったからこれまで我慢出来たのだと信じて
疑いません。


キックボクシングを始めることが出来たのも、中学卒業して
タイに行くことが出来たのも、


「やらせてあげなさい。」
「行かせてやりなさい。」




父の一言があったからです。
帰国後、後楽園ホールへよく通うようになりました。
勉強ですし、楽しかったのです。

翌年にデビューしますが、昼間通う大検予備校は後楽園ホール
すぐ近くです。
なので、交通費は問題なく、小遣い程度の金額はファイトマネーで
なんとかします。


授業を終えて、後楽園ホールへ足を運ぶこと度度です。
大きな興行ではなく、小さな興行の自由席を買いに並びます。
学割で千円です。


立ち見席を購入し、今度は5階入り口脇の階段で待ちます。
そして、第一試合から観戦するのです。
会場と同時に席というより座る場所を確保します。
長椅子の北側、東側、西側の階段にパンフレットを敷き、
座ります。


合間合間に通路に出ると、元世界チャンピオンや元日本チャンピオン、
現チャンピオンやランカー様様な面子と遭遇出来ました。


世間では著名でなくても僕にとってはボクサーは英雄です。
好きな選手にサインをもらい、一言二言会話を交わし、
意気揚揚と帰宅して、それを壁に貼ります。
キックボクサーの場合は会場で遠目に見て観察します。




「サインはもらうのではなく求められる側にならなきゃ。」



16歳のその頃、部屋に飾っていたチャンピオン、元チャンピオン、
世界・日本ランカー、好きな選手などのサインを全部捨てました。



「書く側になりたい。」

強くそう思ったのです。



「握手はしてもらうのではなく、して欲しがられる存在を
目指さなきゃ。」


だから、求めないで来ました。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。