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人生に種をまく。

幾度も幾度も記していますが、偉そうに記している
つもりはありません。
ただ僕はそう考えて行動してきました。

種を撒いて種を撒いて、芽が出ないかもしれないから
また違う種を撒いて、そんな感覚です。
種の名は「野望」であったり「夢」であったりします。
歪な僕なりの種をこの人生に撒いてきました。

大したことではありません。
そう考えられなかったらとっくの昔にやめています。
続ければいいということではありません。
頑張ればいいという訳でもありません。

でも頑張り続けなければ何も起こることはありません。
もしかしたら何も起こらないのかもしれませんし、
なのでええ、そうなれば大半の予想通りの幕引きです。

22年前、自伝という種を撒きました。
芽は出ませんでした。
翌年もう一度、でも同様です。
その年からよからぬことが続きます。

「でも、いつか」そう思いながらの毎日でした。
再起する前からも、してからも。
文庫化が決まりました。
希望を見出して、アルバイトをしながら家事育児しながら
寝る間を惜しんで考え、そして街頭の灯りを頼りにメモ帳に
ペンを走らせたりしました。

でも、自分なんてそんなものです。
自分の人生自分が主役です。
もしかしたら、失敗した人生の主人公を自分は生きているのかも
しれないと幼少期から辛いことがある度に考えてきたことを、
デビューしてからも挫折する度にそう考えてきたように、なので、
その時にもやはり、同じ様に。


再起してからも同様に。
でも、もう40歳近い年齢から残り30戦出来るとも
30回減量することも出来やしないだろうと考えもしません
でした。
80戦しても90戦してからも。
なので、90線を迎えてからのファンを囲んでの食事会の際、
これが最後だろうなと思っていました。

46・7歳だったと思います。
そこから10戦ということは10回減量して試合をしないと
なりません。
諦めるという訳ではなく、普通に考えるのも嫌でした。

97戦で止まったキャリアは沖縄の試合で動きましたが
でも、コロナですぐに止まります。
50歳手前でアルバイトしながらのジム経営です。
「今年こそ試合できますように。」
大晦日に成田山まで走って祈願してきました。

昨年、やるつもりで夏から体重を落とし始めました。
秋、試合が決まりました。
悔しい結果でしたが、でも、先が少し見えました。
自分だけの納得だけを得られれば、それでもう。

100戦目を4月に迎えて、いよいよ次に迫ります。
どこまでやるかは云いません。
どこでやめるとかも云いません。

次に向けて少しずつ準備をしていければそれで。


昨日、監督の内田さんと秋田書店の編集者藤波さん、
それと漫画家の村瀬(克俊)さんがジムに見えました。


数日前に聞いていて、なので、昼からその時間を作りました。


「カラダ探し」という作品は存じています。

漫画家さん本人を目の前にして漫画の話にもなります。
僕の大好きないくつかの作品の話、流行っているけれど
大好きな作品とその理由、他色色。

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400字
特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。