11月25日
1988年11月25日、今から34年も前になります。
16歳でした。
忘れもしません。
その後の60数戦、減量は苦しみしかありませんでした。
当時、間のスーパーの階級がない時代でしたから
フェザー級の上はライト級でした。
普通、5階級上げるとかなら、理解出来ないにしても納得はまだ
出来ると思います。
余程の不摂生というレッテルを貼ってしまうでしょうが。
逆はないと思います。
今でもいないと思います。
35年前、15歳の夏にタイでスーパーフライ級でデビューしました。
初めてだし、暑いタイだから落とせたということもあるでしょう。
翌年、日本でフェザー級でデビューしました。
でも、ダメージを考えて次戦から数戦バンタムに落とすことにしました。
試合経験を少ないダメージで積む為に、意図的に苦しんで、
です。
案の定、バンタムでの2戦目は9月だったから落ちたようなものの、
でも、きついものでした。
「次の試合決まったぞ。」
でも、会長はその次戦、フライ級で試合を組みました。
未だに理解出来ません。
何度も何度も断りました。
それでも説得するので、もうジムには行きませんでした。
3週間前、自宅に電話がかかってきました。
「試合決まってるのに何で来ないんだ馬鹿野郎。」
怒鳴られてジムに行きました。
「落とせません。」
幾度も説明しました。
「今、何歳だ?」
「16歳です。来月で17歳になります。」
「あと1ヶ月か。なら行ける。」
そんな訳で決まりました。
回想録に記した通りです。
それからの人生、減量は苦痛でした。
文字通り、苦しくて痛いのです。
内臓が。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。