分からないは良いこと

采佳です。

最近分からないということを気にしてなかなか前に進めていないなあという方を見つけたので、書いてみることにしました。

家庭教師をしていると、どうしても生徒が分からない問題に当たります。分からないというのは、わりと色んな理由があります。理屈が分からない。理屈は分かっても納得がいかない。前提知識がなくて分からない。子供であれば脳の発達が足りなくて分からない。もはや遺伝的な才能レベルで分からない。

こういうとき、いくつか対処法がありますが、まず高校卒業までのレベルなら8割はいつか分かるようになります。8割と言ったのは、残りの2割は遺伝的レベルでどうしても分からない場合です。でも諦めなければいつか出来るようにはなります。なぜならこういう問題は、既に先人が答えに辿り着き、人類が普遍の原理として共有出来、学校の先生程度の人が生徒へ教える課題として扱うことができるからです。こういう問題の場合は、早い段階に触れ、経験値をたくさん積むことで熟練していくのです。

一方で、分からないことを諦めるべき問題もあります。これは、第一線で活躍する研究者も答えを知らない問題です。こういう問題は、まず問題すら定義されていない、つまり問題すら人類に知られていないこともあります。要は人智の外にある問題です。

有名な話で、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは無知の知を唱えています。これは周知の通り、知らない、分からないということを知ることが大切だという意味ですが、人というのは知らないことを知らないままでいることは恥ずかしいと思いがちです。

もちろん、ビジネスの場面では知らないことが許されないことは多いです。弁護士は法を知らなければ仕事にならないし、医者は人体を知らなければときには罪に問われることになります。

しかし、学ぶという場面においては、知らないことを知りに行かなければ知識は広がらないのです。初めて解く問題でバツをつけられなければ、新しい問題を覚えません。○がついた答案はもう時間を割く必要はないのです。

人間はどうしても出来ることをやりたがります。出来ることを繰り返すことは楽しいしなんとなく自信が出ます。でも、いつまでもその中にいては知識は広がらないのです。出来ないという歯がゆさ、悔しさを経験するリスクを負わなければ学びというものは出来ないのです。

指導する立場の人間は、学ぼうとする人間に「なぜ出来ないの」と責めることが無いようにしていきたいものですね。

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