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僕は涙が溢れるほどの恐怖を感じたい

僕は最近泣いているだろうか?
それはどんな時?
泣いた時を振り返り思い出してみた。


兎角、最近は良く泣く。
ちょっとした漫画や映画を見た時
人の頑張りを見た時
歌を聞いた時もそうだ
TVに出てくる小さい生き物など見た時なんかも
特にすぐに泣く。
年齢を重ねてきてるのもあると思うけど
泣くのは悪い事では無い。
ストレス発散にもなるらしいし。


でも、ふと思った。
僕は涙が溢れるほどの恐怖を感じただろうか?

この恐怖というのは自分が新しい事に挑戦するとき
その挑戦があまりに大きく自分の人生に関わるほどの
決断をしているかどうかだ。

人は決断を下すときそれが大きければ大きいほど
そこに勇気がいり恐怖を感じるはずだ。
人は本気になればなるほどその行動や結果が恐ろしくて
先に進めなくなる。
でもその挑戦をしなければ前には進めないのだ。

僕は今の現状に満足しているだろうか?
今の自分に不満を感じ誰かに愚痴をこぼしながらも
何もしていないような気がする。
自分を変えたければ何か新しい事を僕の中に作るしかない。
でも僕は何処かで今の自分に折り合いをつけ
こんなものだろうと何もしないで生きているのではないだろうか。

しかしそれは本当に生きていると言えるだろうか?
自分のやりたいことも見つからず
惰性で生きている毎日だ。

僕は新しい事に取り組んでみようと思った。

新しい挑戦をしようとした時
必ずそこには変化が訪れる。
そして、その変化は僕に恐怖を与える。
何故ならそれは今までバランスが取れていたはずの場所に
新しい物を入れ生活を崩してしまう可能性があるからだ。
新しく取り組む挑戦がその結果
良い事なのか悪い事なのかすぐには判断出来ないから。
もし失敗したら。もし自分の物にならなかったら。
それが元で周りの人たちにまで迷惑を掛けたら
そういった思いが恐怖へと変わり
その恐怖は僕に新しい事をチャレンジをする事に
ブレーキをかける。

本来なら人は恐怖を感じることを進んで行うことは
あまり、あり得ないはずだ。
今までと同じように過ごしている方が楽なはずだから。
でも僕は今までの生活から抜け出したい。
だとしたら別の何者かになりたいと思っているなら
新しい事に挑戦するしかない。

恐怖をただ、怖いと思うからダメなのだ。
恐怖というものも大きな感情の一つではないか?
ならばその大きな感情を力を利用して
たった一歩前に歩けば良いのかもしれない。
でも、その一歩が僕に恐怖を運んでくる。
今の自分を捨てて新しい自分を作る。
自分を変えるには途轍もない力がいるのかもしれない。
そう例え失敗して泣いたって良い。
恐怖を乗り越えて流した涙は
必ずまた次の一歩を踏み出すことの出来る
勇気に変わっていくはずだ。

たった一歩なのだ。
その一歩がきっと僕の未来を変えるはず。


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