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堀井ヒロツグ『身体の脱ぎ方』

"On Body and…" は鑑賞した作品について身体(そこで見たパフォーマンス、絵画、舞踊、写真の中の、そしてそれを見るわたしの)に重点を置きながら、考察するシリーズです。

堀井ヒロツグ『身体の脱ぎ方 The way a body tired of meaning dances』
会期: 2024年6月14日[金]-6月30日[日]
会場: PURPLE

堀井さんの作品の前で目が泳ぐ。若草色と白の壁紙の構図が美しい、ベッドのある部屋の写真。背をこちらに向けた影のような人物が座っている。よく見るともう一人がベッドの枕に頭をのせて横たわっている。性愛、友情といったことばに押し込めることなく、親密な関係をつくろうとするかれらは関係性を名づけ得ないからこそ、それ以上踏み込めない。堀井さんとパートナーの関係に変化をもたらしうるかを試みたものが、本展で見ることのできる長時間露光の写真作品シリーズ「皮膚の思考(遅い鏡)」になっている。

カメラの前で相手の気配/跡を追いかけるようにして一人で立ち、1分したら相手が同じことを交代して行う。写真には二人が重ねられ、一人でありつつ、そこで誰かに思いを向けるかれらが現れる。二人の像は透かしがかかって視覚的には重なっており、二人は触れているのか触れていないのか、そのことを感じ取っているのか否か、曖昧な往還を繰り返し見るような気持ちになる。写っているものが永遠にその模索を続けているのだ。
そうやって堀井さんとパートナーの試行錯誤は、誰かと誰かが結びつきうる方法についての問いへと私たちを誘う。深夜の公園で相手のいた場所で感じることのできる温度や風、受話器を持って実際にはいない相手に向かって話す独白、メッセージボトルに手紙を入れて流し、そのボトルを割り取り出す行為、相手の好きな小花柄の布を街中で探し、スカートにして身につけ踊るダンス。これらは極めて具体的な「身体の脱ぎ方」だ。私たちもそう、試すことができる。堀井さんは「身体という場所は、私を修飾するあらゆる記号や、政治が決定する関係性やジェンダーのように、遠くて抗いにくい視線によって用意された役割をなぞって生きてしまう」という。投げかけられる視線に合わせて身体の振る舞いを決め、外からの視線をなぞればなぞるほど、長い年月を経て身体そのものの形さえ変化してしまうように思われる。そうした身体について振り返る方法の一つとして、「脱ぐ」ということば通り、プライベートな安心できる場が必要なのだ。そして視線以外に身体が感じていることを知らせるのは、その場を共有する誰かなのかもしれない。

本展に合わせて作成された詩と写真の冊子「モノローグの綻びを窓にして」(冒頭画像)の中に「強い光によって見えていなかった傷口に、私たちは何度も心を重ねようとした」という一節がある。
写真の中の二人は背景と混じって消えてしまいそうな時もあればしっかりと身体が写っているときもある。カメラの前に立つということは、光に当たる身体を意識することでもあるが、堀井さんの手によってその光は写真ごとに調整されて、身体像を固定しない。会場には淡い光を集める水晶が釣られて、照明や展覧会タイトルのカッティングシートや額装の工夫によって、淡い光に自然と目を調整することができる。そうやって眺める写真には、実際に身体を脱ぎ切ることのできない哀しさも、そばに相手がいなくても心もちを想像して足先を持ち上げて踊るのことにできる体の軽さも写っていた。


「モノローグの綻びを窓にして」より



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