ヒーローの話

診断メーカーの「兄×妹(男の娘)」の短編です。
暇つぶしにでもどうぞ。


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 昼下がり、もっと具体的にいえば太陽の光が暑すぎて逃げるようにカフェの中へと入ったわりとあたたかい午後。牧田要(まきたかなめ)はかばんから文庫本を取り出すと、アイスコーヒーが入ったグラスを少し横にずらし読書をする体勢へとなった。

が、本を開くと同時に向かいに女性が座る。気づいた要は顔を上げ一瞬眉間にしわをよせた後、開いたばかりの本を閉じてグラスの横に置いた。

「早いじゃん」
「信号が全部青でね」

女性は、その性別にしては少し低めの声を発しながら要の言葉にこたえ、自分のグラスにシロップを入れストローでぐるぐるとまわし溶かしていく。

「またその格好か? 一緒に歩く俺の身にもなってくれよ」
「服がなかったの。仕方ないじゃん」
「服がないって……、そんなわけないだろ? 母さんが俺のお下がりを何着やったと思ってんだ」
「捨てた」
「はぁ!?」
「かわいくないもの、着たくない」

アイスティーを一度喉に通した後、女性が笑顔でそう言う。彼女……いや、彼というべきか。彼の名前は牧田純(まきたじゅん)、性別は男性であるが五年ほど前から“女性”として生活している。

「捨てたって……、どういう気持ちでその服をやったのか分かっててか?」
「わかってるよ。お母さんは男の子になってほしいんでしょ」
「だったら」
「私は女の子なの。男の子はやめた」
「あのな、やめるやめないの話じゃなくて」
「その話するために呼んだの? なら、時間の無駄だから帰るね」

純は兄である要からの強い言葉にも折れない意思の強さを見せ、まだ半分以上残っているアイスティーには目もくれず席を立つ。

「待て、純!」
「知らない!」

要が立ち上がり制止するも、四文字の言葉で振り払われ、純はそのまま店の外へと出ていってしまった。要がいるのは窓側の席であるため、通りが見える。純は窓ガラス越しに要の前まで歩くと、口パクで“バーカ”といい、そのまま店に背を向けて歩いていった。

一方の要はというと、バカと言われたことに対し少し苛立ちながらも、おとなしく椅子に座り直した。ここで暴言を口にしたり、行動に移してしまってはいけないと分かっているからだ。

「……どうしてこうなったんだっけ」

要は頬杖をつき、机の上に置いた文庫本の表紙を眺めていた。


***


 幼い頃、純は男の子だった。本当に、ただの、男の子だ。活発で何にでも興味を持つ好奇心旺盛なところもあり、やんちゃだった。要は自然と純から目を離さないようにと思うようになり、もはや両親に次ぐ三人目の保護者となった。

「お兄ちゃん」

純は兄であり保護者でもある要を慕っていた。先ほどのような喧嘩など、過去はしたことがなかった。要が折れていたからである。だが、今回は要が折れるわけにはいかなかった。純は女の子の格好をしはじめた頃、大学を中退しフリーターへとなった。不安定な未来に両親は心配をし、要に頼んできたのだ。

『純を元に戻して』

――元に戻すもなにも、最初から純は純なのだが。
しかし親の言うことももっともで、要はとりあえず頷いた。それから五年ほど経った今、純は相変わらずフリーターで要は会社員をしている。

「純はどうしてその格好なんだ?」

そう聞いても、

「お兄ちゃんには関係ないよ」

そう言ってはぐらかしてしまうのが彼女だった。

「関係ないこと、ないんだけどなあ」

店の中で一人呟き、アイスコーヒーを口にする。そんな兄の心を弟、いや妹は知る由もない。


***


 一方その頃純は、駅前のロータリーに面したベンチに男性と並んで座っていた。

「…………ありがとう、野崎さん」
「あっはは、いいよいいよ。純ちゃんに何もなくて良かった」

野崎さん、と呼ばれた男性は頬に痛々しい跡をのこしながらも、笑顔で話す。野崎(のざき)というのは要の友人であり、純のことも知っている幼なじみだ。彼が彼女になったことも当然知っている。それでも態度を変えずに、牧田家と付き合いを続けている。

「どうしていつもああいうヤバいやつに目をつけられるの?」
「さあ。かわいいからかな」
「あはは、たしかにね。純ちゃんかわいいから」

他の人であれば、純の台詞を聞いたらナルシストだと思うだろう。しかし野崎は疑うということをしない性格で、ましてやナルシストなど思うこともなく、自分の魅力を理解している人ってすごいな程度にしか思っていない。純のこともそうである。

「この服のとき、いつもナンパされる」
「声もハスキーで違和感ないもんね」
「女の子に見える?」
「うん。あいつらもそう思ったから声かけてきたんでしょ」
「そっか」

純は野崎の答えに満足そうに頷いた後、少し表情をくもらせ野崎の右腕の裾をかるくひっぱった。

「ねえ、野崎さん。お兄ちゃんに言ってよ、いい加減私を女の子って認めてって。お母さんにも言ってって」
「……純ちゃん。要は、君が君だってことはわかってるよ」
「え?」
「女の子でも、男の子でも。でも、男の子になってっていうのは、親御さんに言われてるから。板挟みなんだよ、あいつ」
「…………知ってる」

純がうつむく。野崎はひとつため息をついたあとで空を仰ぎ、優しい声音で尋ねた。

「なら、どうして女の子の格好してるの?」
「……女の子なら。かわいいから」
「?」
「女の子だったらっ……、見てもらえる気がしたの!」

純が震えた声でそういいながら、うつむいた顔をあげる。野崎と視線があう。

「のざ……きさんに、見てもらえる、気がしたの」

裾を掴んでいた手が離れる。野崎は驚いた表情で純の顔を見つめた。彼女は視線をそらし、スカートを両手でにぎりしめる。

「……俺に?」
「だって……、野崎、さん、いつも……お兄ちゃんとばっか……」
「そんなことないけど」
「僕からしたら! あ、違う、私からしたら、そうなの。女の子になれば……、お兄ちゃんとは違う私になれば、見てもらえると、思った、の」

一瞬声を荒げたものの、恥ずかしいのかだんだん言葉が途切れがちになる。それでもなんとか言い切ると、純は横目で野崎の様子を探った。

幼なじみのために、傷を負ってでも守ろうとしてくれるその男らしさは昔からで、純にとって野崎はヒーローだった。

「……そっか」

それだけいうと、彼は困ったように笑った。苦笑い、というものだ。

「俺、純ちゃんも、要も、同じくらい大好きだよ」

その言葉は、悪気のない飾りのないもので純の心臓をしめつけた。


***


 その夜、帰宅した要を待っていたのは父親の怒鳴り声と母親の泣き叫ぶ声、それらに答える純の大声だった。

「どうしたんだよ!」

靴をぬぎ、慌ててリビングへと顔を出す。そこには泣き崩れてソファに座り込む母親、机の横で仁王立ちをし眉をつりあげた父親、そしてこちらも泣いている純。異様な空気が立ち込めていた。


「おにい……ちゃん」

純がようやくその一言を発する。要は床にかばんを投げ捨て、両親から妹を守るように背を向けた。純はしゃっくりをしながらおとなしく要の背中へと隠れる。

「要。母さんから言ってもらったはずだが、いつまで純に遊ばせるつもりだ」
「純は遊びでやってるんじゃない」
「遊びだろう。でなければ、要のように会社勤めをしているはずだ」
「仕事はしてるじゃないか。なんでいまさら怒るんだよ」

その要の言葉に反応したのは母親のほうだった。

「もう二十五なのよ!」

つまりは、いい大人なんだからふざけたことはやめてまっとうに働きなさい、ということだ。二人がいずれ家庭を持つことを両親は何よりも期待している。そのために、ここで純の女装癖をやめさせなければ、ということだった。

「仕事もこの格好なんだからやめられるわけないじゃない!」

純が叫ぶようにしてこたえる。幸か不幸か、男子校には行っていないから経歴から男だと分かることもなければ、名前も違和感がないことから今まで気付かれたことがなかった。

「そんなんじゃ結婚できないぞ!」
「できなくていいもん!」
「そういう話じゃない! さっきからそう言っているだろう!」
「待てって!!」

ヒートアップする親子げんかに要が割って入る。

「……父さん。純には俺からいうから」
「お前が言っても聞かないからこうして直接言ってるんだ」
「…………じゃあ、いうけど。俺らの幸せを勝手に決めるな」

要のなかで、何かが崩れた。理性と呼ばれるものだ。彼はまずい、と心の中で感じた。きっと、暴言を吐く。いい子でいた要を、純のよき兄として頑張ってきた要を否定するような別の“要”になる気がした。でも、それでいいとも思えていた。

「俺は本を読むのが好き、映画をみるのが好き、テレビを見るのが好き、休日はのんびり寝たい。純はこの格好をして仕事をしている、遊ぶ時もそうだ、そしてそれに何より満足している。俺らの幸せは俺らに決めさせてくれよ! 結婚しろだとか、家庭を持てだとか、会社勤めをしろだとか、そんなのあんたらの理想論だろ! 勝手な夢に、理想に、子供を巻き込むなよ!」

 両親は今までいい子であった要の逆襲に驚き、言葉を失った。荒く息をつく要の後ろで、純が呆気にとられた顔をしている。

「……お兄ちゃん」
「何も言うな」
「……うん」

純は小さく声を出して頷く。

「自分が何を言っているのか分かっているのか」
「ああ。もううんざりなんだよ、いい子でいるのは!」
「要!」
「怒るなら俺にしろ!」

父親が怒号をとばすがそれに負けず要も声をはりあげる。兄弟愛とか、そういう美しいものではない。ただ、自分が我慢すれば純は笑っていた。お兄ちゃん、と呼んでくれていた。女装するようになっても、それは変わらなかった。妹になろうが、弟になろうが、要にとっては間違いなく純であり、両親が望む“男の純”でなくて良かった。

要は、純のヒーローでありたかった。大事なときに純を守れるヒーローになりたかった。

「……頭冷やしてくる」

少しの間のあと、要がそういいリビングを出ていく。純は

「わ、私も!」

というと兄である要のあとを追いかけていった。二人がいなくなったリビングで、父親はソファに座る。妻であり母親である彼女の隣に。

「まったく、あいつらは」
「どうして二人共……お互いをかばうのかしらねぇ」

まだ涙声のままで、母親がそう言葉を吐く。

「純が男になれば、要も安心して嫁をとれると思ったんだが」
「要が結婚すれば、純も戻るかしら」
「今のままじゃ、変わらないだろうな」
「はぁ……」

二人にしては少し広い空間で、ため息が重く響いた。


***

 二人は自宅の近所にある公園へと来ていた。ベンチに座り込んで月夜を見上げる要の隣に純も座る。

「……帰れ」
「女の子をこんな時間に一人にするの?」
「お前男だろ」
「ぶーぶー! 私、また絡まれて野崎さんに助けてもらったんだから!」
「はあ? なんでみんな騙されるんだろうな」
「騙すも何も女の子だし」
「羨ましいよ、そのぶれなさ」

半ば呆れたように笑いながら横の女性を見る。やはり彼女は純だ。弟で、女装をした純。

「なんで女装してるんだっけ?」

いつもはぐらかされて教えてくれなかった理由を聞いてみる。

「……変われると思ったの。自分も、周りも」
「変わる?」
「うん。ヒロインになりたかった。守られたかったの。ずっとお兄ちゃんに守ってもらってたくせに、欲張っちゃった」

先ほどの言い合いの中で、純は思い出した。野崎も守ってくれていた。間違いなくヒーローであった。だが、それよりもずっと前から要は兄として背中を見せてくれていた。本当のヒーローは、要だ。

「私、野崎さんが好きなの」
「ブッ……ごほごほ」

突然の告白に要は思わず咳き込む。だが純は気にせず続けた。

「でも振られちゃった。女の子になれば変わると思ってたこと、何一つ変わらなかった。……私、やめる。女の子になるの」
「え?」
「好きな人に見てもらえないんじゃ、女の子でいる意味ないもん。今日みたいにお兄ちゃんに迷惑かけるし。五年間、迷惑かけっぱなしだし」
「……いいんだよ、女の子で」
「お兄ちゃん?」
「弟より妹のほうが守りがいあるしな。それに、俺は迷惑かけられてると思ったことはない。純は純だ。お前はやりたいことやればいい。俺はそれを守る。五年間そうしてきたんだ、これからもそれでいいだろ?」

優しい声音に思わず純の目に涙が浮かぶ。だが指でごしごしと強めにこすってから笑ってみせた。

「ありがとう、お兄ちゃん」
「ああ。好きな人に好きと言えるお前の勇気は男の部分だ。かわいいのは女の部分だ。男でも女でもお前は純だ」
「……うん」
「父さんと母さんには俺がもう一回説明する。女装とかそんなの抜きで純のこと見てやれって」
「お兄ちゃん」
「うん?」
「お兄ちゃんはやっぱりヒーローだよ」

 憧れていた、ヒロインにさせてくれたのは兄の要であった。純は女の子になることをやめない。兄が守ってくれるから、ヒーローがいるからヒロインがいるのだ。

だが、純はそれを口にすることはしなかった。黙っていても、伝わるものだ。要は一瞬驚いたあとで、ああ、と笑って頷いた。そうして月明かりが作り出す二つの影は、家路へとついたのだった。


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