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無題

高校生の頃から手帳に自分の感情や明日の自分を励ます言葉を書きはじめた。
日記という丁寧なイメージより殴り書きである。手記であり、半分は祈り。

思っていることを書く、自分の目でその文字を見る。
もう一人のわたしと話をするように、自分の気持ちを理解したり認めたりする。
そうやって書くことは心の汚れを洗い流すひとつの儀式になった。
儀式と書くと堅苦しいけれど、そんなことは全くなくその根っこはきっとTiwtter(X)にある。
とても綺麗に言葉を紡ぐ人がいて、性別も名前も知らず、言葉だけのやりとり。お互いに何も知らないからこそ心の隅の話ができる不思議な空間。お酒も飲めない年齢でバーで隣に座った人にならなんでも話せるっていうのはこういうことかもしれないと思った。文字の羅列に癒されていく感覚や、どうしたって人それぞれ定義や意味にズレがあるのに心が通う感覚を求めている。読むこと、書くこと、話すこと。言葉を通してわたしはわたしやあなたの存在を確かめている。だから言葉は鏡であり、お洒落に使いたい。

言葉というのは人間が生み出した面白い道具で、何かを考える時には必要なのに本当に伝えたいことは、上手く言葉にならない。私たちはただ表現したいことの周りをぐるぐると回るだけで、しばらくすると本当に伝えたいことなどないのではないか、言葉など邪魔なのではとも思えてくる。でもその泥臭いところが人間に似ていて不恰好だけど惹かれてしまうのだ。

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