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薄雲

朝、目が覚めて感情が動くことって少ないんだなと思う。
今朝は通知画面にわたしにとって残念な知らせが届いていて、悲しかった。「悲しい」の気分になるのは久しぶりのことに思えて、最近ちょっと感情の波形は小さかったことに気づく。ちょっと嬉しいことやちょっと悲しいことはあってもとびきりのやつはなかったもんな。

わたしは、しあわせで、運もそこそこよくて、良き友人に囲まれていると思う。でもたまに、どうしようもなくしゃがみ込んでしまう日がやってくる。
なんとなく水蒸気のようだ。楽しい時間にも確かに存在しているのだけれど、霧や靄になる日もある。そういう、うっすらとしたどちらかといえば暗いものがずっとある。それについて今日はちょっとだけわかった気がした。

わたしの悲しいは、根っこに悔しいがある。相当な負けず嫌いに呆れるし、星のもとを生きているなとも思う。パッと思いつく悲しい出来事は、恋愛の類が不得意なこと、手のひらを返されること、思ってることをちゃんと言えないこと、今は周りの友人よりも自由に使えるお金がないこと、など。くだらないけれど悲しいのである。悲しいからと言って、妬んだりはしない。友人が恋人と甘い時間を過ごせているのなら素直に嬉しいし、多くの人から大切に扱われていたらいいなと思う。なんでもはっきり言える子は凄いなと思うし、お金の使い道は人それぞれ自由だ。だけど、何かの拍子に引っかかっていた棘から亀裂が入るとそこにあるのは自分にはそれができていないという悔しさだ。試しに「悲しい」を辞書で調べてみる。書かれているものと書かれていないものがあったが、確かに残念、悔しいとあるではないか。よかった。本当に。

もしかしたらわたしはずっと静かに悔しがっているのかも知れない。それがプライドと呼ばれるものなら、手放したい。もっとミストや春の柔らかな霞でありたいのに。なんだか暗くなってしまったから、今度は明るい話をしよう。よく眠れますように、そして明日朝起きたら植物にたっぷり水をあげたい。

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