犬みたいに


娘がいろいろなことに対してけっこうのんびり屋なので、イライラすることがある。一緒に歩いていても、もっとサクサク歩こうよと言ってしまう。電車を利用する時は、乗り換えに一番便利なところはどのあたりか確認して、なるべくスムースに行く車両のドア近辺に乗る。休みがあったら、家事を最短で終わらせられるように朝起きた時にまず手順をざっと考える。これやってあれを済ませて、と順番を考えながら動く。わんこの散歩の時も帰ってからの夕飯づくりと片づけ、そしてそれをいかに早く終わらせるか、を考えている。

夜中に洗濯物をたたんでいる時は「5分でたたむ、5分でたたむ」と誰にも何も言われていないのに、気づくと自分で自分を追い込んでいた。集中力はすさまじいが、薄暗い部屋で、少し、怖い。


効率。


だって自由な時間が欲しいし。ぼーっとしたいし。そのためにはやることやっちゃわないと。

でも、そういう時間にも結局なにか次のことを考えている。気づけばわたしはずっとそんな感じなんだな。

娘が「小学生の頃は犬みたいに生きていた」と言った。つまり、その時その時のことしか感じてなかったし、考えられていなかった、と。なにかで犬は現在のこととプラス、その直前後の少しのことしか普段は考えないと読んだ。つまり、散歩中は馴染みの道を歩く楽しさしか感じていないし、その時に飼い主と目があえば、その嬉しさだけを感じている。ただ一緒にいることを幸せと感じて歩いている。


オット君に、娘がのんびり屋で困るよ~という話をしたら、君がそう言うとは、と笑われた。そして思い出した。わたしもそうだったんだ。せかせか歩けなかったし、話し方も今より遅かっただろう。

効率よく忙しくいろいろこなしてすべてがうまく運んで、自分の時間が持てるのはそれはそれで悪くないけれど、昔を思い出して。わんこ風に、ただただ幸せを感じるだけの時間を持った方がいいんでないかいと思った。





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