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Everything will be alright

私は今日、誕生日でした。23歳になりました。

「おめでとう!」と内心言ってくださった方、ありがとうございます。皆様の声は以心伝心、私の脳内に流れ込んでくるように聞こえます(妄想)。

ただ誕生日だからと言って、とんがり帽子を被って壮大なパーティーをするわけではなく、はたまた友人と集まって朝までたこ焼きパーティーをする訳でもなく、ただ粛々と、家族3人、夜の宴を楽しむだけであります。

だからと言うわけではないですが、この記事は、「誕生日を祝ってください!!」と自ら皆様に懇願して、承認欲求を充足させることを目的とするのではありません。この一年を振り返り、そして、始まったばかりの23という数字に、思いを馳せてみたいという、それだけのことであります。

22歳。私はこの一年、何をしてきたのか、正直よく分かりません。コロナの影響で外出自粛が世間の標語となり、私はホームにステイする毎日を過ごしていました。就職活動もほぼ自宅で行われ、内定先の会社も、一度も訪れたことはありません。周囲には、「電車賃浮いたぜ!」と喜びを伝えておりましたが、内心、変わらぬ毎日を過ごしたことに飽き飽きし、寂しくなり、この間に数多の大切な機会を見逃してしまったような、狂おしいほどの喪失感を覚え、その欠落を埋めようと必死になって、空回りする焦燥感を携えて、我武者羅に動き回っていたことも、また事実であります。

ところで、テイラースウィフトの曲で、「22」というという歌をご存知でしょうか?それは彼女が22歳で感じたことを、赤裸々に綴った曲になります。

"Everything will be alright if we just keep dancing like we're 22"

これは歌詞の一節です。色んなことはあるけれど、22歳らしく踊っていれば、全ては上手くいくそうです。彼女らしい言葉だなあ、と歌詞を噛みしめながら、ここで私は、彼女の22歳と比べて、自分の22歳はどうだったのだろうかと、暫し虚空と対話するのでした。すると何というか、大切な22歳の時間が、ほとんど白黒で、味気なく、一昨日見た夢のようにぼんやりとしていて、私は何をしてきたのだろうか、私は彼女のように、きちんと踊れていたのだろうかと不安になり、大切な何かをどこかへ置いてきてしまったような、いやむしろ、置いていかれたような気になって、また寥々たる気分になるのでした。人生で一度きりしか訪れない22という年が、あっという間に過ぎ去ってしまったことに、私はただ、手を振って見送るほかないのでした。グッバイ22。ハロー23。

悲しいかな、テイラーの歌に「23」という曲はありません(毎年出していたら、それはそれで鬱陶しいような気はしますが)。しかしだからといって、23という年が特別でない訳ではありません。特別か特別でないかは、結果論的な話です。それは私の行動次第で変化します。特別にしようと思えば特別になるのでしょうし、逆もまた然りです。

ジャンプ漫画の王道のようですが、頑張るしかないのです。御託を並べて立ち止まるより、前を向いて、始まったばかりの23という年を、一心不乱に駆け抜けるしかないのです。間違えることはあるでしょうし、正直、不安なことは沢山あります。それでも、格好悪くても、挫けないで、とりあえず前に進んでみたいと思います。

Everything will be alright if we just keep dancing like we're 23.

今度は23歳らしく、踊り狂ってみます。そうすれば、全てが上手くいくような気がして、私はちょっと、元気になります。

もしあなたも、過去の中で立ち止まっていらっしゃったら、自分らしく、踊ってみてください。ただこれは、具体的な方法論を提示する訳ではなく、その概念を示したのみとなっています。解釈は人それぞれですし、畢竟、躍りかたなど何でも良いのです。自分が気持ちいいと思える躍り方を、自分が自分であれる躍り方を、是非探してみてください。そうすれば霧が晴れて、その先の道がくっきりと見えるかもしれません。大丈夫です。アメリカの歌姫が言うように、"Everything will be alright"なのですから。

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