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🟧 犬も歩けばミャンマー飯に当たる④〜サムロン編〜 🟧


ほぼほぼバンコクな街

手前がサムロンセンター
奥にサムロン生鮮市場

サムロンはバンコクの隣県サムットプラカーン県にある街。隣県と言ってもBTSで1駅隣のベーリングはバンコク都なのでほぼバンコクなロケーション。

そこそこ歴史もある街でそこそこ大きめ、ショッピングモールも巨大な市場もあって交通の要所でもある。

サムロン生鮮市場は当チャンネルでも以前取り上げたけどかなりでかい。サムロン生鮮市場に隣接してサムロンセンターがあってスクムヴイット通りを挟んでイァムチャルーン市場があって、ぜんぶいれるとクロントイ市場より大きいはず。

サムロン生鮮市場
サムロン運河

異色なリトルミャンマー

サムロンのリトルミャンマーはいままで紹介したプラカノン、クロントイと違ってここにいるミャンマー人はほとんどがタイヤイ(シャン)族。見た目じゃビルマ人かタイヤイ族かはわからないけど、タイ語がわかるスタッフに聞くとお客さんのほぼ全員がタイヤイ族らしい。

ミャン飯屋に入ってもメニューがタイヤイ語だけのお店があったりする。大概のお店のメニューはミャンマー語併記やタイ語もあるし、写真付きなのでオーダーするのにそんな苦労することもないけど。

メニューはタイヤイ語(上)と
ミャンマー語(下)
メニューはタイヤイ語(上)と
ミャンマー語(下)

以前タイ語がわからない店員にGoogle翻訳でミャンマー語を見せてオーダーしようとしたらそれもわからなかった。タイ語もミャンマー語もわからないってビックリ。

サムロンスクエアの入口の
看板は全部タイヤイ語
壁のポスターの中にはタイ、ミャンマー、パオ族、タイヤイ族、カレン族の旗

さすがに街中にタイヤイ語が溢れてることはないけど、ミャンマー語の看板とかはちらほら見かける。

サムロンを含むサムットプラカーン県には外国人が約15万人いて、そのうち9.6万人がミャンマー人らしい。サムットプラカーン県の人口が120万人なので人口の8%がミャンマー人ということになる。人口の40%がミャンマー人というサムットサコーン県には遠く及ばないけど相当数のミャンマー人がいる。

金行の看板にミャンマー語
屋外広告のミャンマー語
携帯ショップもミャンマー語

ちょこっとサムロンの歴史

サムロンエリアの起源は、アユタヤ時代にチャオプラヤー川とバンパコン川を結ぶため掘削されたサムロン運河。この運河がチェチェンサオなどのタイ東部とバンコクをつなぐ重要な交易路として機能し、現在のサムロンエリアは運河の河口の街として発展した。

その後、主要な交通手段が陸上輸送になってからも、1960年代には主要道路のスクムヴィット通りがサムロンとバンコクに開通し、バンコクの都市圏の拡大はサムロンに及んだ。

工業化が進む中、サムロンに工場を建設する企業も増加。パナソニックが1961年、トヨタ自動車は1964年、ホンダが1965年、日産が1973年、いすゞも1974にサムロンで生産を開始する。サムロンを含むサムットプラカーン県はタイ有数の工業地帯になった。


ショッピングモールと映画館の時代

1983年、当時最新の設備を持つデパート「インペリアルサムロン(現インペリアルワールドサムロン)」がオープン。映画館を併設したショッピングモールとしてサムロンエリアの集客に貢献した。

ちなみに最初にインペリアルサムロンがオープンしたのは現在の場所ではなくスクムヴイット通りを挟んだ反対側のバンコク寄りになる。現在も当時の建物が廃墟化して残ってる。

現在は廃墟のインペリアルサムロン跡

下の写真はBTSができる前のスクムヴイット通りをバンコクに向かって撮った様子(1983年撮影)。右手に旧インペリアルサムロンが見える。このあと左手のずっと手前に現在のインペリアルワールドサムロンが建設された。

Facebookより

インペリアルワールドサムロンのテナントをみると都心部のショッピングモールや同じくサムットプラカーン県にあるMEGA BANGNAに比べるといわゆるブランドショップがない。しかもメインのテナントは安売りスーパーのBig C。この辺りの購買層が富裕層じゃないことがなんとなく想像できる。

インペリアルワールドサムロンがオープンする以前からこのエリアには映画館がいくつかあった。プラカノンのリトルミャンマーの記事でも書いたように1970-80年代の娯楽の中心は映画館。いまでは廃墟になってしまった映画館跡が何軒かある。

当チャンネルでもサムロンエリアの廃墟化した映画館のうち「State Cinema」(2017年閉業)、「Pu Chao Samrong」(1998年閉業)の2軒を紹介してる。

State Cinema跡
Pu Chao Samrong跡

その映画館の中で1973年にオープン、2007年に閉館したスクムヴイット通り沿いにある映画館「Samrong RAMA」は、移転前のオープン時のインペリアルサムロンに隣接してた。今回紹介するサムロンエリアのリトルミャンマーの中心となってる「Samrong Square」はなんとサムロンラマの建物をそのまま利用してできた。

Samrong Square
(映画館Samrong RAMA跡)

サムロンスクエア

現在サムロンエリアにあるミャン飯屋は8軒。そのうち4軒が入るサムロンスクエア。ここがこのエリアのリトルミャンマーの中心。4軒の食堂全部がお惣菜や食材を販売してて土日には多くのミャンマー人が詰めかけて賑やかな市場状態になる。

各お店の店頭には青果が並び奥の方に乾物が置いてある。お惣菜屋が目立つクロントイや プラカノンと比べると青果の種類も量も圧倒的。自炊派の地元ミャンマー人が多いのか。

タイではあまり見かけない野菜も多い

乾物類や保存食もあるがやはり自炊向きの品揃えな印象。右上の丸いセンベイ状のものはミャンマーの乾燥納豆。左上のシャンカオスエの半生麺はチェンマイで作ってるらしい。


イァムチャルーン市場

サムロンにあるイァムチャルーン市場という大きな市場の中に最近ミャンマー食材専門店が2軒オープンした。ここはリトルミャンマーがあるサムロンスクエアから少し離れた場所にある。
品揃えはサムロンスクエアとほぼ変わらないけど店舗はサムロンスクエアに比べるとよるスーパーっぽい造りで買い物がしやすい印象。

新しいミャンマー食材店①
新しいミャンマー食材店②

品揃えは変わらない印象だったけど商品の陳列の仕方やお店の造りのせいか、見栄えがよく手に取りやすい。こういった工夫は大事。

飲食店や食材屋などのミャンマー関連店舗が増えているってことは、サムロンエリアのミャンマー系の人口も増加してるんだろうか。


サムロンのお店

サムロンのお店①

サムロンスクエアの中にある食堂兼食材屋。メニューは屋台飯中心。シャンカオスエなどタイヤイ系のメニューが多い。メニューの上にあるのはタイ国旗とパオ族の旗。パオ族はシャン州に多く住む少数民族。

サムロンのお店②

サムロンスクエアからスクムヴイットソイ111に少し入ったとこにあるミャン飯食堂。ここもやはりタイヤイ系のお店だけど、メニューはタイ語とミャンマー語が書いてある。

サムロンのお店③

スクムヴィット通り沿いに最近できたタイヤイ系の食堂。メニュー内容はサムロンスクエア内のミャン飯屋とほぼ同じ。大通り沿いにミャン飯屋ができたのはここが初めて。メニュの文字はミャンマー語とタイヤイ語と右上に小さくタイ語。

サムロンのお店④

③のお店がオープンしてからしばらくしてその並びにオープンしたお店。珍しいというかサムロン初のビルマ人経営のお店。メニューはもちろんミャンマー語だけ。メニュー数は他のタイヤイ系より多い。店頭でお惣菜を販売中。

サムロンのリトルミャンマーについて書いてみたけど、なんでタイヤイ族がこんなに多いのかは調べてもわからなかった。 プラカノンにカレン族が多いのと同じく不明。バンコクリトルミャンマーの奥は深そうだ。

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