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(最終回)そしてこの本をきっかけに

 ひょんなことから関わることになった幡野さんの新著『ラブレター』の制作。ついに本も完成して、今日からは渋谷PARCOの『ほぼ日曜日』での展覧会も始まった。 なんとかできあがったので、嬉しいのと同時にホッとしてもいる。

 この本に関しては、最初からずっと同じことを僕は考えていた。これは手紙なのだと。手紙であるべきなのだと。
 幡野さんから妻と子へ送る手紙であり、読者へ送る手紙でもあり、同時に僕たち制作チームから幡野さんへ送る手紙でもあり、読者から幡野さんへ送る手紙でもあるのだと。
 もちろん本は本なのだから、手紙そのものにはならないけれども、それでも、だからこそ手紙としての佇まいを残したかったし、幡野さんが妻と子へ宛てた手紙を読む人が、この本を読んでいるうちに、なんとなく自分にあてた手紙のように感じてもらえるようにもしたかった。
 どんなメディアを使っていても、人がほかの人へ言葉を届けようとすれば、それは一種の手紙なのだし、その中でも誰か大切な人へ向けて送る手紙はすべて「ラブレター」と言っていい。
 この本を読んだ人が心の中に浮かべたイメージや大切に思った言葉を、ほかの大切な誰かに伝えるとき、きっとそれもまたラブレターになるのだと。そんなラブレターの出発点になる本であって欲しいと。
 それが上手く形にできたかどうか、そういう本になったのかどうか、正直に言うと、僕にはわからない。わからないけれども僕としては満足しているから、たとえ自己満足だとしても、それはそれで構わない。あとはこの本を手に取ったみなさん次第だ。

 さて、この制作日誌では造本の話ばかりしてきたけれども、幡野さんの書いた言葉と撮った写真がなければ、そもそも造本も始まらないし、じゃあ原稿を任せるよと言ってくれなければ、こんなふうに関わることもできなかったわけで、こんな怪しげなサングラスの男によくもまあ任せてくれたものだと、今さらながら呆れつつ感謝している。この本に関わらせていただきまして、本当にありがとうございました。
 ここまでずっと造本の話ばかりしていたので、そろそろ中身の話にも触れておこうと思う。いやもう、中身はすごくいいのでともかく読んでくださいとしか言いようがないのだけれども、いちおうちゃんと書いておくぞ。しかも、ですます調で。

 幡野広志・著『ラブレター』は、あくまでもご家族に宛てて書かれた手紙の連載をまとめたものなのに、その言葉はどこまでも普遍性を帯びていて、なぜか僕たちの心の奥にも静かに響きます。
 妙にくだけるわけでもなく、肩に力が入っているわけでもなく、幡野さんがただ淡々と日々に感じ、考えたことがそのまま文章となって収められている本です。ときどき、ものすごくベタな駄洒落や「あんたいくつやねん」と突っ込みたくなるようなジョークも紛れ込みますが、そこは編集者として、カットせずにあえて残しました。
  全体を通してけっして派手なことは書かれていませんし、何か大きな事件が連続して起こるわけでもありません。最新の知識を得る喜びやら、あっと驚く展開に満ちているわけでもありません。
 でも、やわらかい文章の中には、自由であること、自分で決めること、責任を担うことへの覚悟と誇りが常に見え隠れしています。誰もがつい逃げだしたくなることへも、きちんと向き合う姿勢が流れています。
 それは幡野さんの強さでもあるのですが、だからといって僕たちにできないことでもありません。考え方というよりは、在り方の問題なのです。
 そうやって幡野さんが、僕たちがふだん気づこうとしない小さな視点や、目を閉じて無かったことにしているものごとを「いやいや、ほら、ここにあるじゃん」と、まったくオブラートに包まずに、でもそれなりに優しく見せてくれる、そんな本に仕上がったように思います。
 読み終わると、きっと「借り物の言葉ではなくちゃんと自分自身で考えた言葉を大切な誰かに送りたい」そんな気持ちになる本です。あと、写真もちょっぴり撮りたくなるはずです。さっき僕もカメラの充電を始めました。
 ぜひお手に取ってその言葉に触れていただけたら、そしてこの本をきっかけに、誰かにラブレターを書いてみよう、そんなふうに思ってもらえたら、僕はとても嬉しく思います。


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