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「自分で選んだ道なんだから、弱音は禁止」という謎理論。

「自分で選んだ道なんだから、弱音は禁止」というニュアンスの言葉を見聞きすることがあります。もちろん、自分が選んだことには責任を持つべきだという考え方は分かります。

ただ、弱音を吐くことすら許されないというのは、ちょっと疑問が残るところです。

挑戦を躊躇させる言葉

僕はこの「弱音は禁止」という言葉が、実は新しい挑戦を躊躇させるのではないかと感じています。もし、弱音を吐くことすら許されないのであれば、僕たちは何か新しいことに挑戦する勇気を失ってしまうことにならないでしょうか。

新しい環境・違う世界に行けば、今までとは違う困り事が生まれるのは必然です。でもそれは、新しい経験を積むという意味で貴重なことです。困り事に対して弱音を吐くことは、人間らしい反応だと思いますし、自分自身を成長させる一つのプロセスだと僕は考えます。

道を選ぶ事に変な負荷をかけるのは良くない

自分で道を選ぶということは、必ずリスクが伴います。それは仕方がないと思います。ただ、自分の選択に対して過度な負荷を感じることは、本来の目的から逸れてしまう可能性があると思います。

自分自身を追い詰めるのではなく、挑戦を楽しむ余裕を持つことが重要ではないでしょうか。その一部として、多少弱音を吐くことも含んでいいのではないかと感じています。

弱音は禁止?それとも成長の道具?

「自分で選んだ道なんだから、弱音は禁止」という言葉は、一見とても正しく聞こえます。でも全てを自分の内に抑え込んでしまうよりは、新しい挑戦の一環として、時には弱音を吐き、自身の成長につなげるきっかけにした方が良いのではないでしょうか。

自分で道を選び、時には弱音を吐きながら、それをも自己成長の一部として捉えることが出来たなら、より強く前向きに挑戦の道を進むことができると思うのです。

この記事は過去の自分のX(Twitter)のポストを元に、編集しています。

Originai Article:「自分で選んだ道なんだから、弱音は禁止」という謎理論。

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