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【絵本レビュー】 『ひまなこなべ』

作者:萱野茂
絵:どいかや
出版社:あすなろ書房
発行日:2016年8月

『ひまなこな』のあらすじ:

アイヌでは万物に神が宿ると考えられ、中でもクマは特別な存在。
肉や毛皮をもたらしてくれるお礼に、感謝の気持ちをこめてにぎやかな宴を開きます。
そんなすばらしい宴の場で、クマの神は、踊りの上手な不思議な若者に出会うのですが、
その若者は実は、「こなべ」(小さい鍋)の神だったのです。
クマの神は、その踊りを見たいがゆえに、何度も何度もアイヌにしとめられます。

『ひまなこな』を読んだ感想:

私の母は子供の時の写真がほとんどありません。高校生の時に家が放火に遭い、テレビや銀行手帳などの大切なものだけ運び出して、あとは燃えてしまったんだそうです。そんな母ですが、タンスの上に2枚の写真がありました。一枚は小さな彼女が着物を着ているものと、制服を着た高校生くらいの母が不思議な服を着てハチマキをした男の人と並んでいるものでした。

私は子供の時からその不思議な男性が気になっていました。母に聞くと、「アイヌ」の男性と北海道で写真を撮ったというのですが、私にはその人が外国人のように見えていました。「アイヌ」という音葉は覚えたけれど、北海道で会ったという話は忘れてしまい、母に何度も聞きました。

私が少し大きくなると、母がアイヌの人たちについてもう少し詳しく話してくれました。「アイヌ」という言葉は、なぜだか私の古い古い記憶をくすぐりました。それからはニュースや新聞で「アイヌ」の文字を見るたびに立ち止まり、当時私にできる限りの情報を集めていきましたが、「日本人とは別な民族として扱われていること」と「あまり受け入れられていないこと」という印象ばかり受けました。自然を敬って生きている人たちなのに、私たちだってたくさん学べることがあるはずなのに、なんだか悲しいですね。

私には北海道に親戚がいて、小学校に上がる前くらいまではよく行っていました。冬に行くことが多く、一面雪に覆われている記憶しかありません。外はすごく寒いのに家の中は夏みたいに暑くて、室内から出たり入ったりするたびに玉ねぎみたいに何枚も服を脱いだり着たりしたことを覚えています。部屋の真ん中には大きなだるまストーブがあって、そこで親戚のおばさんと一緒に撮った写真の私のほっぺは真っ赤っかです。その部屋でみんながテレビを見ている中、私は黄色いビートルのミニカーで遊んでいました。雪を踏みしめておばさんたちに銭湯に連れて行ってもらったこともありました。

そんな思い出が、「アイヌ」という言葉を聞いたときに思い出されたのかもしれません。北海道の親戚とは疎遠になっていて、何十年も経った数年前にふとしたことがきっかけで連絡を取ることができました。残念ながら私を可愛がってくれた親戚の多くは、もう亡くなってしまったのだそうです。まだ残っている人たちがいるうちに、息子を連れて会いに生きたいなと思います。その時はぜひアイヌに関する場所も訪れてみたいです。子供の時からのあの心の不思議な感じが居場所を見つけられるような気がするのです。

『ひまなこな』の作者紹介:

萱野茂
1926年北海道捨流郡平取町二風谷に生まれる。小学校卒業と同時に造林・測量・炭焼き・木彫りなどの出稼ぎをして家計を助ける。1953年アイヌ研究者某に家のトゥキパスイ(捧酒箸)を持ち去られたことが動機となって、アイヌ民具の収集・保存・復元・研究に取組み、1972年、収集した約2,000点の民具で「二風谷アイヌ文化資料館」を結実させる。アイヌ語研究の第一人者で、アイヌ語を母語とし、祖母の語る昔話・カムイユカラを子守歌替りに聞いて成長。1960年からアイヌ語の伝承保存のため、町内在住の古老を中心にアイヌの昔話・カムイユカラ・子守歌等の録音収集を始める。1961年、金田一京助のユカラ研究の助手を務めた。1975年、『ウェペケレ集大成』で菊池寛賞、1978年、北海道文化奨励賞受賞。1983年、二風谷アイヌ語塾を開設、塾長として地域の小・中学生を指導。1989年、第23回吉川英治文化賞受賞。2006年没。


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