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【絵本レビュー】 『きかんしゃやえもん』

作者:阿川弘之
絵:岡部冬彦
出版社:岩波書店
発行日:1959年12月

『きかんしゃやえもん』のあらすじ:

年をとってしまった機関車のやえもん。くず鉄にされる運命が待っていたのですが、ある日、交通博物館の人がゆずってほしいと申しこんできました。


『きかんしゃやえもん』を読んだ感想:

父は生涯たった一台の車を乗り切りました。その車は私が生まれる前からあって、最初の頃はメタリックな紫色でした。写真の中の私の知らない若めの父は、ビートルズみたいなマッシュルームカットで、得意げに車に寄りかかっていました。

私はその車に面倒を見てもらったと言っても過言ではありません。生まれて数週間の私が止まっているその車の助手席で眠っている写真もあります。さすがにもうヤンキーっぽい紫色ではなく、濃い青に塗り替えられていました。小学生の頃放課後にスイミングへ行くために着替えたのもこの車の中。毎年夏休みに海や山へ行ったのもこの車。正月とお盆に祖父母の家に行ったのもこの車。月に一度家族三人で外食をするときもこの車。本当にお世話になりました。

この車はスポーツカーでツードア。全く家族向けではないのですが、なんと後ろの座席がバタッと完全に前に倒せてトランクスペースが拡大されるという優れものなのでした。冬用タイヤをつけるようにしてから私たちはこの車で新潟へスキーへも行ったのですが、スキー板三人分も含めその時の荷物全部を積んで、さらに母が荷物に囲まれて寝ることまでできたのです。

難点といえば、クーラーがないこと。なにせ昭和40年代に作られた車ですから、エアコンなんてついていませんでした。せいぜい送風機をつけるくらいなのですが、外気が熱風となって飛び込んでくるので役に立ちませんでした。夏に高速道路で渋滞に巻き込まれると、周囲の車はみんな窓を閉めているのにうちの車だけ全開です。父は優雅そうに肩肘を窓から出していますが、Tシャツは汗でシミができています。おまけに私が高校生にもなると車の老朽化も進み、渋滞中に巻き込まれるとエンジンが止まるということがよくありました。その度に後ろの座席から母のヤジが飛びます。

「いい加減車買い替えなって言ってるじゃん!」

父の車はあの当時でも、数ヶ月に一回は修理に出されていました。その金額を考えたら確かに新車が買えたと思えますが、父はあの車を絶対に手放そうとしませんでした。時々借りてきた代車は静かだし、クーラーもついているし最高だなあと思ったのを覚えています。つい気が緩んで、うっかり父に「こんな車もいいね」などと言った日には、「お前は車のことを何も知らない!」と怒鳴られたものでした。失敗、失敗。

「なんでも新しいのを買えばいいってもんじゃない。最近はローンも終わってないのに三年もしたらまた新しいのを勧めてくる。」

父はそう言っていました。確かにうちには古いものがたくさんありました。最近になって物置を掃除していた母が、私のランドセルが出てきたと教えてくれました。溜め続けた父と、溜めることが嫌いな母。なんとも対照的ですが、父が亡くなった三年前、母はこの車を処分しようとはしませんでした。十二年前に父が脳梗塞で倒れた時に、私たちは父が二度とこの車を運転できないことはわかっていました。それでも母は売ろうともせず、運転もできないくせに最初の一年ほどは毎日エンジンをかけて劣化を防ごうとさえしていました。東北大震災があった時、実家周辺は液状化が起き家も傾いた状態だったのに、母がまずしたのはあの車を液状化した泥から救い出すことでした。放っておいたら泥がセメントに戻った時、タイヤが埋まってしまうからです。見かねた近所の奥さんが母と一緒に泥を掻くのを手伝ってくれたと後から聞きました。泥掻きは数日続き、車の前に積まれたそれは母の背丈に届くくらいの小山になっていました。

「ダメになっちゃう前に売って、誰かに乗ってもらったほうがいいんじゃない?」という私に対して、母は「パパがデイサービスに行く時見れた方がいいから」と頑なに首を振りました。後で聞いた話だと、定期的に売って欲しいという人が来て、名刺を置いて行ったりしていたんだそうです。最初のうち母はそれをさっさと捨てていたと教えてくれました。

「パパが死んだらこの車をお棺がわりにしてあげるんだ」なんて本気なのか冗談なのかわからないことを言っていた母でしたが、父が亡くなった後車をすぐに売りました。『こち亀』にも乗ったことのある車種で父の自慢でしたが、漫画で言っていたような値段ではありませんでした。父に知られなくて一安心です。彼はそのエピソードを大変自慢にしていましたから。買った人は車の改造が趣味という人で、錆だらけだった父の車は綺麗に車体も塗り直されて、また日本のどこかを走っているんだそうです。私のお兄さんみたいなあの車もだいぶ歳をとってしまったけれど、どこかをのんびり散歩をしてるのかなと思うと嬉しいです。何より、父がどこからかそれを見ていてにんまりしているかなと想像するのが楽しいです。


『きかんしゃやえもん』の作者紹介:


阿川弘之
1920年(大正9)広島市に生まれる。42年(昭和17)9月、東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業。兵科予備学生として海軍に入隊し、海軍大尉として中国の漢口にて終戦を迎えた。46年復員。小説家、評論家。主な作品に『春の城』(読売文学賞)、『山本五十六』(新潮社文学賞)、『井上成美』(日本文学大賞)、『志賀直哉』(毎日出版文化賞、野間文芸賞)、『食味風々録』(読売文学賞)など。95年(平成7)『高松宮日記』(全8巻)の編纂校訂に携わる。78年、第三五回日本芸術院賞恩賜賞受賞。93年、文化功労者に顕彰される。99年、文化勲章受章。2007年菊池寛賞受賞。日本芸術院会員。2015年(平成27)没


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子供向けの絵本は『きかんしゃやえもん』だけのようですね。映画にもなっているそうですよ。

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