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【絵本レビュー】 『わにのはいた』

作者/絵:マーガレット・ドリアン
訳:光吉夏弥
出版社:大日本図書
発行日:2010年3月

『わにのはいた』のあらすじ:

眠れないほど歯が痛くなり、歯科医がこわいワニのアリはとうとう
動物園から病院に行くことになりました。ところが、途中でおとこの子に会って…。


『わにのはいた』を読んだ感想:

私は六歳からずっと同じ歯医者に通い続けました。最後に行った時私はもう三十を過ぎていて、あんなに大きかった椅子を倒しても、足がちゃんとしたについているようになっていました。私が子供の時は子供専用だったのですが、いつのまにか名前が変わって大人も受け付けるようになっていました。

先生は丸い顔にカールした髪をしていて、まるでアンパンマンのジャムおじさんみたいでしたが、私には怖いという印象しかありませんでした。初診の時点で、「この子の顎は小さいから前歯がガタガタになるわね」と言われ、矯正器具をつけるのではなく抜いて前歯が綺麗に生えるスペースをつける、という方法をとることになりました。ということで、小学校一年生前半は、ほぼ毎月一本か二本は抜歯されることになりました。現在のようないい治療器具もなかったし、痛くて当たり前という考え方もあったので、麻酔もまるで親の仇でも取るかのようにブスブスと刺されました。

私は幸いされませんでしたが、この歯医者には暴れる子を拘束するネットが治療用椅子についていて、実際小さな男の子に使われているのも見ました。網にかかった魚のようにもがいて泣いている男の子を目前にして、六歳の私は拘束された私自身を想像して怖くなりました。ネットに包まれて身動きが取れないより痛い方がいいと子供なりに思ったのです。

私はこの歯医者に六ヶ月ごとに行っていました。好きで行っていたわけではないし、行くたびに何かしら治療するところを見つけられて、それなりに痛い思いもしました。最大の問題は小さな口と顎で、奥歯の治療の時は器具が届かず、よくジャッキのようなものを口にはめられました。先生にとっては楽だったのでしょうが、私はなんだか人ではなくて物扱いされているような気がして、あまりいい思い出はありませんでした。

その後私たちは引越しをして、歯医者からは電車を乗り継いで一時間半もかかるようになりました。私ももう子供のいるいわゆる大人だし、さすがに大人の歯医者に行っても大丈夫だろうと思って近所の歯医者に行ってみたのです。先生はとても優しくて、「へえ、歯医者にも優しい人もいるんだ」と軽いショックを覚えました。治療の時も「ちょっと痛みますよ」なんて言ってくれて、感動で涙が出そうになりました。

ところが、直してもらったところが一週間もしないで取れてしまうのです。私は子供の時、走ってきた石頭の子とぶつかって前歯が欠けて取れそうになったことがあります。例の怖い先生は欠けたところを綺麗に修正してくれました。十年近くもの間で取れてしまったのは一回だけでした。もちろん簡単な修正ではないのですが、一週間もしないで取れてしまうのでは困ります。数回再修正しに行ったのですが、それでも取れてしまったし、ドイツに帰る前に直したかったので、結局また子供歯科に戻ることにしました。

何年かぶりに行った子供歯科は改装されていて、新しい椅子も導入され、大人の患者さんも受け付けていました。先生は相変わらずの丸顔でしたがマスクをつけていて、もう黒い小さな歯は見えません。びっくりしたことに、先生は助手さんたちに私の小さい時のことを話し出したり、今はドイツに住んでいるというと、自分のドイツ旅行の話などをし始めたのです。太い指を雑な感じで動かすところはあまり変わっていませんでしたが、子供の時の印象とは大違いです。やっぱり私の歯をよく知ってくれている人が一番だなとさえ思ったのでした。

「帰国期間中に直すなら、着いてすぐ来られるようにドイツから予約してちょうだい」そう言われて、その次の帰国時にもお世話になりました。以前は濃い灰色だった髪の毛が真っ白になっていることに気がつきました。思えば三十年以上お世話になっている先生です。私はもう子供じゃないんだ、そんなことを実感しながら、私は次の帰国時の訪問をお願いして帰りました。

その翌年、帰国が決まったので歯医者の予約を取ろうとメッセージを送りましたが、返事がありません。以前は翌日には返信があったので変だと思い、母にも電話をかけてもらいました。電話も通じないと母に言われました。その後も母が何度かかけてみましたが、なんと一度誰かが受話器を取り、そのまま切ったというのです。何か変です。結局連絡が取れないまま私は帰国し、近所にできた新しい歯医者に通うことにしました。

その時の帰国中遠出をすることになり、歯医者のある駅で乗り換えがありました。ホームから見える歯医者はブラインドが降りていて人の動きは見えませんでしたが、看板はまたついていました。「へんだね。」母と私は話し合い、帰り道に立ち寄ることにしたのです。歯医者の前に立つと、やっぱり誰もいません。でも張り紙もなく、ただひっそりしているのみです。私たちは首を傾げながら歯医者を後にしました。ジャムおじさんみたいな歯医者さんは、フッといなくなってしまったのです。

もちろんそれなりの歳でしたから退職したのかもしれません。もしかしたら亡くなってしまったのかもしれません。病気になったとも考えられます。どちらにしても張り紙もないなんてちょっと不思議ですが、私の子供時代に関連する場所がまたひとつ無くなってしまいました。

『わにのはいた』の作者紹介:


マーガレット・ドリアン(Marguerite Dorian)
ルーマニアに生まれる。ブカレスト大学、ソルボンヌ大学、ハーバード大学ラドクリフ研究所そしてプロビデンス市のブラウン大学で学ぶ。1952年からロードアイランド州プロビデンス市に住んでいる。イラストレーター、作家、詩人として子供と大人両方に向けて本を書く。彼女の作品はNew YorkerやThe New York Timesなど様々な出版物に採用されている。『わにのはいた』を始め、彼女の絵本は全て文章、絵ともに彼女が手がけている。


マーガレット・ドリアンさんの他の作品

現在のところ翻訳されているのは『わにのはいた』のみのようです。

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