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【絵本レビュー】 『あすはきっと』

作者/絵:ドリス・シュワーリン
絵:カレン・ガンダーシーマー
訳:木島始
出版社:童話館出版
発行日:1997年6月

『あすはきっと』のあらすじ:

目をさまして「おはよう!」っていうと、もうその時が、あす。あすは、いっぱいできるよ、今日できなかったことも。あすは、何から何まで、ずっと今日より良くなるよ。きっと、あすには…。


『あすはきっと』を読んだ感想:

「明日」という言葉にどんな印象を受けますか。
楽しみ? 希望に満ちている? 気が重い? うんざり?

みなさんいろいろな気持ちをこの言葉に対して持っていると思います。子供の時両親から「明日ね」と言われ、とてつもなく長い時間を想像した経験はありますか。明日の遠足がものすごく楽しみで、学校の授業が永遠と続いているように思ったこと。運動会が大嫌いで当日が来ないでほしいのに、毎日があっという間に過ぎてしまったこと。明日はただのタイムライン上の一イベントなのに、なんでこんなにもドキドキしたりハラハラしたりさせられるんでしょうね。

私は一人っ子の上、学校までは電車やバスで通学していたため、地元にほとんど友達がいませんでした。両親とも働いていたし、父は私をオリンピックスイマーにすることが夢だったので、長期の休みの間は、空いている時間は大抵近くの公園を何周も走らされたり、プールで自己練をさせられていたのですが、それでも学校に行く時のように早起きもしなくていいし、何より大好きな本を読む時間がたくさんあったので、特に夏休みは大好きでした。

それなのに八月三十一日が来るのです。夏休みが終わってしまうという感じは二十五日を過ぎると始まってはいましたが、三十一日は特別に凹みました。いつもはなかなか起きられないのに、その日だけはスッと目が覚めます。横たわったまま目だけ開けると、空気は夏休みの終わりを告げるかのような寂しさを含んでいました。私は上半身を起こし、「明日は学校へもどっらなければならない」と一人さめざめと泣いたものでした。それはある意味儀式とも言えたでしょう。小学校高学年に始まり、大学四年まで続いたように覚えています。八月三十一日の私には「明日」はとても暗いものに思えました。

初めて大失恋をした時、私は夜も眠れず一晩中布団の中で震えていました。時々涙が溢れてきて、枕は食器洗いスポンジみたいになっていました。寝返りを何度打っても眠れず、私は窓の外が明るくなるのを見ていました。明日が来たのです。明日が来たところで何も希望はありません。彼と電話で話すこともないし、彼に会うこともありません。この先週末を楽しみにする理由だってないのです。それなのに「明日」は来てしまいました。頼んでもいないのに。今までで一番辛かった「明日」のひとつかもしれません。

私の人生に何があろうとも、明日は止まることなくやって来ます。こうしている今だって、一歩一歩進んでいるのです。無慈悲にとも言えるかもしれませんが、公平とも言えると思います。誰にも明日は来て、明日は変えることができるのです。もちろん、変えるのは私自身。

子供が生まれる前、私は毎晩寝る前にその日にあったことを頭の中で振り返っていました。その日したこと、交わした会話などを詳細に再生するのです。大事なことはノートに書き留めたりもしました。そして頭を枕につけ、目を閉じた時小さな声で言うんです。
「今日もいい一日だった。明日目覚めなくても後悔はない」

今はもちろん後悔だらけ。息子の取り扱い方法また間違っちゃったというのはもちろん、成長をまだまだ見守りたいので、明日は絶対に目覚めたいのです。だから今は、
「今日もいい一日だった。明日も楽しいことがありますように」
と言って寝ています。

毎日を後悔なく過ごしたいです。たとえ後悔することがあっても、明日はきっとうまくやれる。だって明日は新しい日ですから。

みなさんは明日はどんな日だと思いますか。


『あすはきっと』の作者紹介:

ドリス・シュワーリン(Doris Schwerin)
1922年、アメリカのマサチューセッツ州生まれ。作曲家、劇作家、作家。
「あすはきっと」は、孫のベンジャミンのために書かれた。ベンジャミンが、彼の未来、つまり、彼にとっての“あす”について、疑問を抱いていた2才の頃に書かれたもの。2013年に逝去。


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まだ他には日本語訳されているものはないようです。もし知っている方がいたら、教えてください。




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