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女子校の「美術部」、人体モデルの男

 顧問の佐々木先生に紹介された男はモデル台に上がり、落ち着きなく周りを見回している。タオル地の濃紺のバスローブからのぞく脛の毛が気持ち悪い。歳は四十代くらいか。父親より少し若いかもしれない。

 美術室には美術部員が八人、イーゼルを立てて準備している。モデル台に今日のモデルの男、その横に佐々木先生が立ってポーズの打ち合わせをしている。そして学院理事会の職員の男が一人、部屋の隅にパイプ椅子を置いて座っている。
 亜紀は制服の上からエプロンを着けて、一番前の列の低い椅子に座っている。男性ヌードを描くのが初めてという一年生の未羽が隣で俯いている。

 亜紀が属する高等部の美術部では、月に二回ほど「応募さん」と呼ばれる様々なタイプの人物をモデルに、人体デッサン実習をしている。部員たちにとってはデッサンの勉強でもあり、アルバイトでもあるという謎の時間だ。

 これは亜紀たちが学ぶ聖スタルトス学院の理事会(生徒たちからは悪徳理事会と呼ばれている)が考えたシステムで、募集の詳細は謎だけれど、モデル希望者から参加費(かなり高額らしい)を取って、美術部のモデルになってもらう。ルールは厳しく、美術室内では生徒との会話は禁止、デッサンが終わったら先に部屋を出て控え室に戻ってもらうなど、生徒との接触がないようにしている。
 これまでに亜紀が描いたのは、今日と同じようなおじさん、もう少し年上のおじさん、高齢(おばあちゃんと言って良い)の女性、筋トレをしすぎている感じの若い男、など様々だ。そして、おじさんたちは主に若い女の子たちの前で裸になりたい!という雰囲気をばんばん出しているヘンタイさんたちだ。
 顧問の佐々木先生は「その動機がどんなに不純であろうと、命ある人体であることに変わりはなく、われわれはありがたく描かせてもらおう。真面目な話、つるんとしたヴィーナスのような若い女性ヌードばかり描くのよりもよほど勉強になる」と前向きなのだ。確かに、勉強になるということは亜紀も実感している。

 壁の時計を見た佐々木先生がモデル台を離れて言った。
「でははじめましょう。今日のモデルは山本さんです」
「よろしくおねがいします!」
 私たちは元気に声をかける。
 山本と呼ばれた男は、少しもじもじしながらバスローブを脱いで台の隅に畳んで置いた。中年男性の白い裸が現れた。男は台の中央に立ち、右手を腰に当てたポーズで立った。亜紀たち生徒の顔をぐるりと眺めたあと、壁の一点を見るようにしてポーズを固定した。佐々木先生が足の位置にテープを貼って目印にした。

 隣の未羽は俯いたままだ。亜紀はおじさんを見上げるようにして、やわらかい鉛筆で画面にアタリをつけていく。突き出た腹、筋肉の落ちた太もも、女性とは異なる骨格。毎回思うが勉強にはなる。股間の毛のなかに埋まったあれが恥ずかしそうに小さくなっているのが可愛い。可愛いと感じるなんて、変だなと亜紀は思った。
 未羽もようやく顔をあげて描き始めている。脳が絵を描くモードに切り替われば、対象が素敵なお姉さんモデルでも、ヘンタイのおじさんでも変わらないのだ。亜紀は美術部の活動で動物園にスケッチに行った時のことも思い出していた。カバを描いた鉛筆のスケッチが高評価だった。この人もカバだと思って描けばいいかも、と亜紀は思った。

 二十分間のポーズが終わって、休憩になった。モデルの男はバスローブを羽織り、理事会職員に連れられて控え室に下がった。佐々木先生が皆のデッサンを見て回る。三年生と話している声がする。亜紀は鉛筆をカッターで削る。未羽はトイレに行った。未羽の絵も形がよく取れている。いつもの優しい柔らかな線だけど、きっちり男性感が出ているのがさすがだ。うまく陰影をつけて、たるんだ肉の感じもよく出ている。
 出来上がったデッサンは当日のモデルに見てもらい、気に入ったものは買ってもらえる(理事会で結構いい値段をつけているようだ)。売れたデッサンを描いた生徒にはその何割かが入る。実習に参加することで貰えるアルバイト料は少額だが、デッサンが売れるとちょっとしたお小遣いになる。だから真剣にもなる。人によってはその日のデッサン全員分を買ってくれたりもする。

 休憩時間が終わり、モデルの男が戻ってきた。台に上がる。
「では、お願いします」
 佐々木先生が声をかける。亜紀たちも唱和する。できるだけ可愛い声で。
「お願いします!」
 男はバスローブを取り、足の位置を確かめて、同じポーズをとる。1回目と比べると、おどおどした感じが無くなって、少し堂々とポーズをとっているようにも見える。隣の未羽もすでに真剣な眼差しだ。
 男の視線が動いているのがわかる。描いている女の子たちを見ているのだろう。室内は部員たちが動かす鉛筆の音だけが聞こえ、真剣な空気に包まれている。
「あ!」
 男が声をあげた。股間のあれが大きくなって立ち上がっている。
「すみません、すみません」
 男は股間を押さえて後ろを向いてしまった。理事会職員が厳しい表情で椅子から立った。性的な動きや行動・言動は禁止なのだ。
 佐々木先生が声をかける。
「気にしなくていいですよ。生理現象だし、皆も気にしてないから」
 男は皆に背を向けたまましばらく動かなかった。
「すみません。ちょっと落ち着きました」
 男は元のポーズに戻る。あれの様子も大人しくなった。生徒たちは再び鉛筆を動かしはじめる。

 二十分の同じポーズを休憩を挟んで三回繰り返し、デッサンは終わった。
「ありがとうございました!」
 部員たちは礼儀正しく、モデルの男に感謝の意を込めて声をかけた。
「こちらこそありがとうございました」
 男は裸のまま深く頭をさげ、バスローブを羽織って理事会職員と共に控え室に消えた。

 佐々木先生は亜紀たちのデッサンを壁に並べて、簡単な、そして的確な講評を述べたあと、
「じゃあ今日は解散します」
 デッサンを抱えて美術室を出て行った。さっきの男に見せて買ってもらうのだろう。

 亜紀は未羽に声をかける。
「どうだった?初めてでしょう。男の人描くの」
「ちょっとびっくりしましたけど、勉強になりました」
「よかったわ。はじめ真っ赤になって俯いているから心配してたの」
「あんな風になるの初めて見たし……」
「え?ああ、下から見上げるとちょっとグロいよね」
 未羽はまた頬を染めた。

「あ、まだいたのか」
 佐々木先生が戻ってきた。
「君たちのデッサン、売れたよ。気に入ったみたいだ」
「二枚買ってくれたんですか?高いんでしょう?」
「ああ。また来るかもよ、あの応募さん」
「え〜、そう何度も来られても、ね?」
 亜紀は未羽のほうを見る。頬を赤くして俯いている。 先生は部屋を出て行った。
「大丈夫?」
「ええ。私、また描いてみたいです。あ、今日の人をっていうわけじゃなくて、いろいろな人を、ですけど」
「そうね。もっと格好いい男性が来るといいんだけど、今日みたいな人ばかりなのよね」
「似てたんです」
「え?」
「体型が、お腹の出ているところとか、父に」
「お父さんに」
「ええ。顔とか全然違いますけど。雰囲気が」
「そうだったの」
「なんか、関係ないのに照れるというか」
「でも、すごく良く描けていたじゃない」
「ありがとうございます」
「この会は自由参加だから、嫌だったら出なくてもいいし」
「そうですね。あの……」
「なに?」
「笑わないでくださいね。父も、あんな風になるのかって思っちゃって」
「あんなって?ああ……やっぱりほら、お父さんだって男性だから。気になるの?」
「いえ、そういうわけじゃなくて、ごめんなさい。もう大丈夫です。今日は勉強になりました」
 未羽は片付けの続きを始める。



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