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川が旅路に続いている

松尾芭蕉『おくのほそ道』

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

 時間は永遠に歩みを止めない旅人だ。すなわち人生も旅だ。昔から旅に生きて旅に死んだ者は多かった。私も漂泊したいという思いが募って…。そんな風に書き出される「おくのほそ道」は、江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜1694年)の代表作。150日間2400キロに及ぶ旅の出発地となったのが、江戸の下町・深川である。晩年の約14年間を芭蕉が過ごした町を訪ねた。
 地下鉄森下駅から西へ。隅田川に足を向ける。新大橋は渡らずに、川沿いを少し南下すると江東区芭蕉記念館(常盤1-6-3)がある。代表作の「古池や蛙飛び込む水の音」は、伝統的な蛙の鳴き声ではなく飛び込む音を詠んだのが革新的だったとか、作品についていろいろ学べる施設だ。当時の深川の様子がわかる古地図があったり、近くの句碑や史跡を一覧できるマップなどもあって、お散歩好きにはありがたい。
 夕刻、空が色づき始めた。再び下流に向かって歩きはじめる。ゆったりと流れる川面が少しずつ暖色を帯びていく。都会の慌ただしさを忘れさせてくれる景色。目指したのは、隅田川と小名木川の合流部に作られた芭蕉庵史跡展望庭園。お目当ては松尾芭蕉像である。
 じつはこの像、珍しい回転式なのだ。午後5時に動くと聞いて、それに合わせて訪問してみた。庭園は30分前に閉まっているから、そばでは見られない。遊歩道から柵越しに鑑賞。時間になると、ライトアップ用の照明がついて、銅像が反時計回りに動き始める。ゆっくりと45度ほど向きを変えて、静かにストップ。照明の光量が上がるのとシンクロしていて、回りながら暗い中に浮かび上がってくる感じが、なかなか良い。回転鑑賞は冬がおすすめだ。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

 これは「おくのほそ道」の旅立ちの句。過ぎゆく春を惜しんで、鳥は鳴き、魚も涙を流す、という意味。自分との別れを惜しんでくれた仲間たちの姿を重ねている。
 改めて読んで気づいたのだが、じつはこの旅の初日、芭蕉は深川から千住(足立区)まで舟で隅田川を上っている。別の旅でも深川から行徳(千葉県市川市)まで舟を使ったりしている。川はまっすぐ旅路に続いていた。芭蕉像が川を向くのは、そりゃ当然か。

                           2019.12.2/夕刊フジ 

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