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「危ないからダメ」の行く末と生きにくさの獲得

ノルウェーのクリスマスを、Tromsøで

クリスマス前後の10日間、ノルウェーに来てから初めてベルゲンを出て、北極圏の街・Tromsø(トロムソ)で過ごしました。

トロムソに行くことにしたのは、ベルゲンで出会った友達が「クリスマスはうちにおいでよ」と誘ってくれたから。

トロムソで「なんでクリスマスにここに来ることになったの?」と何人かに聞かれて、友達と顔を見合わせてよく考えたら、私たちは初めて会った日(たしか8月末)にこの会話をしていた... 😆

友達「クリスマスはうちに来たらいいよ!」
私「え、ホント?行く!!」

まだお互いのことよく知りもしないのに、初めて会った日にそんな会話をして、しかも実行してるなんて、私たちはなかなかクレイジーだねアハハ🤪 と私たちが笑っていたので、なんで私が来たのか尋ねてくれた人も冗談かと思ったようですが、本当の話でした。

でもトロムソに行ったことで、私はノルウェー人の家庭のクリスマスを経験することができ、他にも、オーロラを見たり、友達一家が所有する別荘にドライブ小旅行をしたり、冬山をハイキングしたり、もう全部が特別!と思える時間を過ごせました。

本当にありがたいです。

北極圏の厳しい自然を受け入れる穏やかな人々の暮らし

北極圏のトロムソでは、太陽が昇らずずっと暗い時期が半分、太陽が沈まずずっと明るい時期が半分。

つまり、1年の半分が夜で、あとの半分は昼間、常に太陽と共にあります。
私がTromsøに到着したのは冬至の直前だったので、太陽は絶賛おやすみ中!というか、見えないだけだけど。おかげでベルゲンにいるときより、もっと眠気が強くなりました(笑)

そんな環境でも!
人々は普通に生活しているし、むしろこれでもかというくらい外に出ている、自然を享受していると感じました。

最もそう感じたのは、近くの山にハイキングに行ったとき。私たちと同じようにハイキングに来ている人にたくさんすれ違ったし、冬山を走りながら登り下る(トレイルランをしている)人も複数人見かけたのです。😱

しかも、氷点下にもかかわらず、大抵の人は薄いダウンジャケット姿...もしかしたら中に着ているものが何か特別なのかもしれないけど。わからん。
「こういうスポーティな人たちは、多分 中の服もすごい薄いのしか着ていないと思う」と友達は言っていたし、薄着にしか見えないから本当にそうなんだろう。

え、あの人たち、私たちなんか比べものにならないくらい、クレイジー...???😳

そんな人々を横目に、私はこれまでにないくらい着込んで、靴にチェーンスパイクをつけて、何度か滑って友達に引っ張り上げてもらいながら、初めて凍った山道を登るという挑戦をしました。

一歩間違えれば、おむすびころりんな山で

道中は、こんな感じ。

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道はしっかりあるけど、たまに勾配がきつくなるし基本的に凍っている。🥶

きっとこれが日本だったら
「危険ですので、これ以上先には行かないでください!」
「立入禁止」

みたいになってるんじゃないかなぁ...?

もしくは日本でも、地元の人とか慣れてる人は行っても、観光客や一般の人は行こうとしないんじゃないかと思いました。

一方、トロムソでは子どもから結構お年を召した方まで、凍った山道も慣れたもんです。

ノルウェーには、こんなことわざもあります。

Det finnes ikke dårlig vær, bare dårlig klær.
『悪い天気なんてない、悪い服装があるだけだ。』(天気に対して服装が不適切なだけだ、という意味)

ことわざの通り、本当にどんな天気であろうと、どんなに暗かろうと、ノルウェーではどんな年齢の人もどんどん外に出ていきます。
この日の山も、1人で黙々と登ったり、トレイルランをしたり、山の中腹で家族みんなで焚き火をしたり、家族とペットの犬と一緒に、または友達同士でおしゃべりしながら登ったり。

私たちはだんだん明るくなる時間帯に登り始め、暗くなる前に下っていったのですが、私たちが下るときにも、それからどんどん暗くなるにもかかわらず、子どもを含め、いろんな人が登っていきました。

多分、今までの自分だったら、絶対こんなところ歩かない。登らないだろうな。
だって誰もが「危ないよ」って言うに決まってるし、自分でも、えー...こんなのこわいし無理だよー😰 って思っちゃうから。

でも今、たまに足のつき方を間違えて滑りながらも、確実に進んでいる。それに、手を取って支えてくれる友達が一緒にいる。

友達は「1人で登るにはちょっとこわいけど、こうやって支え合う人がいるのはいいでしょ?😊 」と言って、私が歩きやすいように足を着く場所を示してくれました。だから私も「こわーい!!」って笑いながら、この山道に挑戦できました。

私たちがおそれているのは、いったい何なのか?

さて。こうして挑戦してみると、やってみることでわかることがたくさんあると気づきます。
それに自信がつく。やりきったぞ!って。気分もいい。

ではいったい、私は何をおそれていたの?
もしくは「危険!立入禁止」の看板を立てる人(社会)は、何をおそれているんだろう...?

何に対して、「危険だ」と思ったのだろう?
足を滑らせて、ケガをすること?命を失うこと?救助隊を出動させなければいけなくなること?

この問いに対して思いつくことはたくさんあるけれど、私の中では「誰かに判断される、または間違っていると批判されることをおそれているんだ」という結論で、他に頭に浮かんできたどんな考えより、納得感がやってきました。

自分が誰かに批判されることを嫌だと思っていることはずっと理解していたけど(まぁ誰だって嫌だ)、正直こんなにおそれが自分に染み付いているとは思っていなかった。

ベルゲンに戻ってからも、日本だったら「危険!」の看板やフェンスがありそうなところや、ワオー自分(日本)だったらやらないなー!と思うような誰かの行動がやたらと目に入るようになって、自分がいかに"常識”と言われるものに囚われていたかを認識する毎日。これぞ、知らない土地で過ごす醍醐味。🤗

例えば、ベルゲンの市電 bybanen(ビーバーネン・路面電車)と人の距離が意外と近いことに気づいたり。

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↑写真だとちょっとわかりにくいけど、この場所で線路側に立って実際に電車が隣を通ると、車体との距離は1m弱。普通線路内には入らないから特に問題はないけど、もちろん入ろうと思えば簡単に入ることもできる。

他にも、岩でガッタガタの道をベビーカーを押しながら家族みんなでハイキングしている人たちを見かけたり、ハイキングコースをマウンテンバイクで乗り回している人を見かけたりして。(そうか、確かにマウンテンバイクって、マウンテン=山、バイク=自転車、そのまんまじゃん。でもこの道...?)

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↑霜の降りた山道に残るマウンテンバイクのタイヤの跡。見にくかったので赤い線を引いてみた。

暗くなってから山を登るのだって「暗くなるから今日はもうやめたほうがいい」ではなく、その時間にしか見られない景色・空気・体験があるから。
仕事でたまたまその時間にしかハイキングに行けないなら、ヘッドライトを持って出かければいい。足元が見えにくい暗い道は避けて、別な道を選んで帰ればいい。帰り道だけ、バスや電車に乗ればいい。

アクティブでワイルドで、何よりとっても楽しそうなノルウェーの人たちの姿を見ていると、結局 何に対して「危険だ」「よくないことだ」と教えられてきたのか、考えさせられました。

生きる中で体得したおそれを少なくすれば、より生きやすくなる

命あっての人生だから、命を守るため。まず、危険を察知しておそれることは大切な本能です。

ただし「そのおそれは本当に自分が生きる中で学んで得たおそれなのか?」が大きなポイントになると思います。

おそれを抱えている状態とは、たとえ無意識であっても、自分の身体を強張らせ、自分の外界に対して常に警戒態勢でいるということ。

でも本当におそれるべきかどうかは、身をもって体験してみないとわかりません。その体験ができないまま、看板が「危ない」と言っているから、これは危ないんだと認識する。保護者や先生や社会に言われた通りに危険を把握して緊張状態を保つ(おそれる)のは、どこまで力を抜いていいのかわからないから、とてつもなく疲れる。
この疲れが溜まっていく状態は、まさに「生きにくさ」をつくり出しているなと思います。

実際には、自分1人で実現できなくても、支え合う仲間や適切な装備、天気予報などの情報が助けになって、挑戦できることもあります。

だから凍った山道を初めて登るように、挑戦を増やせば増やすほど、私たちは自分の中の不安やおそれを少なくするチャンスを得る。
でも挑戦しなければ、おそれはおそれのまま。そして挑戦した結果、新たなおそれを得てもいい。いつかまたそのおそれを少なくする機会はやってくるから。

そう思えれば、失敗や新たなおそれが生まれることも悪くないな、と思ったのでした。😊

至極当たり前のことなのですが、この「体験できない・させてもらえない事態」は、子どもによく起こり得るし、障害がある人たちにもよく起こっていることだと感じます。

だから自分に対しても、子どもに対しても、誰に対しても、できるだけ挑戦をやめさせないことを、心に留めておきたい。

人間として生きることは、自分と自分以外がこの世界に存在することを知り、各々が自立に向かって成長していくこと。
その本質を忘れずにいたいなと、凍った山を下りて強く思いました。

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