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「インクルーシブ教育が人生の宝物」と語ってくれた友人のこと

ヘルパー仲間・優香ちゃんが教えてくれた、インクルーシブ教育の可能性

*インクルーシブ教育:
障害の有無に関わらず、様々な子どもたちが一緒に学ぶ教育方針。現状だと健常児は地域の学校、障害児は特別支援学校や養護学校に分かれがち。

私が2019年4月から介護ヘルパーとして働いたときの同僚・優香(ゆうか)ちゃん。一般社団法人WITH ALSで学生インターンとしてお仕事をしていました。

私が彼女とご飯を食べていたときのこと。
優香ちゃんが小学生の頃に障害のあるクラスメイトがいたことと、その経験を今どう感じているかという話になりました。

「今思うと、あの経験って本当に人生の宝物みたい」

優香ちゃんのそんな言葉がとても印象に残って、コロナ期間で時間を持て余してたこともあり😆
改めてインタビューしてみることにしました。

会話の中で出てくる言葉がしっくり来て心地良いので、冗長でちょっと読みにくいかもですが、今回は敢えて私たちの会話をそのままテキストにして載せてみたいと思います。

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同級生のYくんのこと

小学校の1年生から卒業まで一緒だったクラスメイト。おそらく知的障害があった。

優香
Yくんが自分たちと違うことは認識していて、Yくんの真似をしたり、からかったりしたことはあったけど、いじめとか嫌な感じではなかった。

あすか
それをやったら周りは嫌なんだ、みんなは受け入れないんだということを、その子にも伝える良い機会になるとは思う。
幼い頃から「かわいい かわいい」のまま、ずっと特別扱いのまま、大人になっちゃって、人との距離感の取り方がわからない人、社会人としてどう振る舞うかがわからない人って実は結構多い。
これまでみんなが構ってくれたから、自分からはいかないで人が来てくれるのを待ってしまうとか、構ってくれないと周りに対して怒ってしまうとか。

でも本当は障害の有無に関わらず、そこはみんな一緒。人として社会生活を営む限り、挨拶も自己紹介も必要。自分で表現すること・説明することをやっぱり学んで、育てていかないといけないよね。
そういうコミュニケーションを学ぶためにも、子どものうちから障害に関わらず一緒に過ごすのは良い環境だと思う。

お世話係のこと

先生が目をかけられないときに助っ人的に入る、ペアの役割。休み時間とか、長縄大会の練習のときとか、優香ちゃんがYくんをサポートしていた。

優香
クラスで取り組む長縄とか顕著で、クラス全体に関わることだから協力しなきゃいけない。でもクラスメイトもみんな優しかった。
クラスメイトが良かったのもあるけど、先生がうまく子どもたちを引っ張ってくれていたのかもしれない。

Yくんが怒っていたとき、みんなが真似をすると、Yくんはもっと怒る。「真似しないでよ」って。
本当は怒りたくないのに、怒ってしまう。みんなにとっておかしいんだ、ってことを、今 思えば本人はよくわかっていたのかな?

あすか
子ども同士の関係性って、悪気なくからかったりするのはよくあることじゃない?相手が怒って初めて「あ、嫌な思いさせちゃったんだ」と気づく。
そこも子ども同士ぶつかって見ないとわからない部分でもあるよね。

楽しかったこと、印象に残っている出来事

優香
小学校の卒業のときにYくんの親御さんからお礼を書いたカードをもらった。
「え、私ってこんなお礼されるようなことしたっけ?」と思ったから、逆にとても印象に残っている。
感覚としては当時も普通というか、特別視してなかった。

あすか
きっとお母さんとしては普通に接してくれたことが嬉しかったんじゃないかな?

大人になって思うこと

あすか
今振り返って、どう思う?(嫌だったとか良かったとか)

優香
すごい良かったと思う。
特に今こうやって福祉に関連したこと(障害者の介護ヘルパー)をやっているから、課題に気づけたし。なおさら良かったと思う。
WITH ALSに興味を持ったのは、もともと福祉じゃなくて、メディアの発信という部分で「人の印象を変えられる」というところだったけど、よく考えると(Yくんとの関わりがあったから)自然とWITH ALSに繋がってたのかも。

あすか
子供時代のベースがあったから、大人になってWITH ALSの情報をキャッチできたのかもしれないよね。

優香
うん、特別視していなかったことに今になって気づいた。今は逆に特別視してるのかも。

あすか
みんなそうなのかもね。
大人になれば知識は付いてくるから、ああいう人もいる、こういう人もいる、って知るし、病気や障害の診断のことも知ると、「この人って発達っぽいよね」とか、みんなそういう固定観念で見始めるから、特別視してしまうものなんじゃないかな?っていう気はする。

優香
あの環境って、今となっては理想なのかも。みんな何も知らないし、別に壁をわざわざつくるわけじゃないし。知らないことが良い環境をつくっていたかも。

あすか
あとは大人の力量。
子どもたちが自然と受け入れられるような環境をつくることだよね。

先生はどうだった?どんなことに気をつけていたと思う?

優香
先生たちがYくんのような障害児たちをかわいがってたから、自分たちもそれを自然に受け入れて友達として接していたと思う。

あすか
この小学生時代の経験、今の自分にどういうところが生きていると思う?

優香
特別視してなかったことに気づけたのが大きい。
今となっては、小学校の自分がお手本。どうにかして一緒に遊びたいし、長縄とか一緒にやりたいし。
全部の社会問題に共通する気がしていて。外国の方とか、問題のベースは同じことだと思う。
みんなで一緒にやるにはどうしたら良いかを一生懸命考える、それを自然にさせてもらっていた。
結局、異文化に共通する部分なのかな。

あすか
私、最近 発達障害の人の話を聞いたんだけど、発達障害の特徴とか見ていると、私も当てはまることあるし、みんなそれぞれに当てはまることがあると思った。もちろんある特定の特徴が強いことで社会生活で困っちゃうことはあると思うけど、それってみんな乗り越えていくこと、人生のどの時期で乗り越えるかなのかな、と。
例えば、学校という枠の中では、やっぱりある程度 年齢や生活感が限定されていたり画一化されていたりするけど、よりいろんな属性の人たちがいる「社会」に出たら、やっぱり目立つ部分は目立ってくる。

優香
そういう目立つ部分を受け入れる人の心の余裕がないとね。
それって難しいことなのかな…?できないから、今こういう問題が出てきてるのかな?

ヘルパーを1年やって気づいたのは、私の周りの友達に自分のやっていることを話すと、みんな 自分には今のところ関係ないけどそういう視点は大事ということはわかってくれている。「自分には無理無理、できない」じゃなくて、歩み寄ろうとか、それって大事だよねっていう、少なからず共感できるポイントがあるんだということに驚いた。みんな意外と理解してくれるし、そういうことに意義を感じてくれるんだと気づいた。

あすか
そこはもしかしたら若い人ほど感度が高いのかもしれない。今、発達障害や障害の種類も増えてきたことで認知は高まっている。
私の感覚だと、まだ「あー、あなたは社会貢献やってるんだよね」みたいな雰囲気が結構ある気がする。
だから優香ちゃんの周りで感度が高まっているのはきっと良いことだよね。自分も気にかけなきゃ、とか…。
いや、別に気にかけなきゃとかそういう問題でもないんだけどね…(苦笑)

優香
そこが難しいですよね。そこ(特別視する必要がないこと)まで気づいてようやく自然にできるのかな。

あすか
やっぱり知らないことが理由で、相手がこわいものになってしまう*。でも知っていけばいいし、その知るプロセスをもっと自然にできれば良いなっていうのが、私もよく思うところ。
*別な記事にまとめています。

優香
今、多様性多様性って言われる時代でLGBTQいいじゃんとか、体型もなんだっていいじゃんっていうのがブームになっているけど、それがもっと根付いていけばいいな。
でも社会が変わってきているからこその、友達のそういう反応なのかなとも思う。

あすか
人の心の余裕の話だけど、社会として理想的にできているなって私が思っているのが北欧で。
私もフィンランドに初めて行ったときに「あー、ここの人たちってすごく心に余裕があるな」って感じたからこそ、私もこの(北欧の)社会で生活したいって思ったのね。
だから、北欧の人にできて日本の人にできないってことはないと私は思ってる。多分 今の日本の社会だと、社会のシステム的に難しい部分があるのかなって思うけど、コロナの影響で少し緩和される部分もあるのかなと思うと、私はワクワクしてる。コロナって究極のダイバーシティじゃん…?(笑)

優香
ここまで「コロナ」の一つにみんながまとまるってある意味すごいですよね。でもそこでようやく気づける、じゃないけど、世界って意外とこんな感じで繋がってるんだとか、意外と身近だなとか。ちょっとほっこりするときもあるし、安心するときもある。自分が住んでない全く違う世界の話じゃないから。

それから、今シェアハウス生活をする中で勝手に自分の中で固定概念が出来てたってことに気づかされたことがあって。
私は相手のことを知りたくなっちゃうから、これって挨拶でしょ?コミュニケーションでしょ?って思ってやっていることが、実は相手にとっては入り込みすぎて、嫌って感じるときもあるんだ、って知る出来事があって。でも相手のスタンスを知った上で自分が挨拶をやめるとかじゃなくて「そう思う人もいるんだ、まぁ自分はこうするけど」っていうスタンスでいられたら。それがある意味、障害を持つ人に対しても一緒なのかなと思う。
こういう人もいる、100%理解してほしい、じゃなくて、あーこういう人もいるんだーと受け入れてもらえたら。

あすか
そうそう、100%理解するなんて無理だからね。
強いて言うなら、お母さん。赤ちゃんのことを言葉なしでわかってあげられるから。でもその時期はみんなもう終わってるから(笑)
「全部わかってほしい」を相手に求めるのは、私はなんか違うなと思っている。やっぱり伝えないと…。

優香
そうそう、伝えないと…で、伝えるときにこういうふうに福祉業界に関わっている人が言うと、「もう熱くなっちゃって!」みたいに捉えられちゃうこともあって。

あすか
うんうん、なるなる…(笑)

優香
当事者の側にいるとか、家族に障害がある人がいるとかってなると、どうしても重くなっちゃうから、やっぱりそこをいかに軽く伝えるか。
「別にそんなんじゃ(熱くも重くも)ないけど」って。そんなお人好しじゃないし…。

あすか
そうそう、別に助けたいとか、そういう思いでやってるわけじゃないし…。
その仕組みをつくりたいよね。もっと自然に、特別気にしなくていいっていう状態。

優香ちゃんは今度は社会人としてつくっていく立場になるじゃない?そうなったときにやってみたいこと、つくってみたい環境とかってある?

優香
発信の仕方でとっつきにくい課題にとっつきやすくすること。いずれ発信する側としてうまく出来たらいいな。
福祉業界に行かないの?って言われるけど、そこに入ってしまうと当事者になっちゃうじゃないですか?私がやりたいのはそこじゃないんだよなと。架け橋じゃないけど、現場に入っちゃうと見えなくなることもあるからそうじゃない立場でできることをやりたい。

あすか
現場に入れるアクセスを持っておきつつ、だよね。
私も自分がそういう立場でいられたのはすごく良かったと思っているし、その架け橋になる人たちが圧倒的に足りないんじゃないかなと思っているから、welcomeです(笑)
そういうことを一緒にやりたいなって思うし。

優香
「見た目を変えることはできないけど、見る目を変えることはできる」っていう『ワンダー 君は太陽(映画)』の名言があるんですけど。
まさに私たち次第だなって、アプローチの仕方で変わるんだなって。そうなったらいいなって思う。
そういうことをうまく言語化して伝えることができないから「お人よし」みたいに思われちゃうのかな...?そう思われてもやりたいって思っちゃうから、不思議。

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私たちに何ができるかわからないけど、身近なところからでいいから、少しずつこういう想いを共有していきたいと思っています。


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