誰でもみんな「知らないものはこわい」
未知に恐れだけで反応しないために
CSI(Communication for Smile and Innovation) の3月の勉強会の記録として、自己紹介(自分を説明すること)について書きました。
こちらは勉強会で行ったことや、勉強会を通して私自身が感じたことなどをまとめているものです。
内容は次の通り。
この日は2組の相談があり、自分の声ではお話できない、また話せても聞き取れない人にはうまく伝わらないケースの相談でした。
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病気そのものや気管切開等により自分の声では話せないケースはたくさんありますし、私たち(CSI)の元に相談に来てくださるのもそういった方が多いのですが、どんなケースであっても、当然ながら「話せない=意思がない、考えていない」ということにはなりません。
私たちは誰でも相手から想定している反応が返って来ないと、ついつい不安が先立って相手に対して思いもよらない反応をしてしまうことがあります。
例えば、
(自分が言ったことを聞いてもらえなかったんじゃないかと思って)その後話しかけなくなったり。
(相手がどこまで理解しているかが読めないので)つい子ども扱いをしてしまったり。
(聞こえていないんじゃないかと思って)耳はよく聞こえている人に対して大声でゆっくり話したり。
相手がまったく理解していないわけじゃないと頭では理解していても、自分の不安・恐怖からつい反射的な行動をとってしまう感じです。知らないもの、異文化に対する人間の自然な反応かもしれません。
でも、この反射的行動がいかにハンディキャップを抱える人たちとその周りの人たちを傷つけることか…
自分は世界を感じ・考えて生きているのに、その事実さえ否定されてしまう・無視されてしまう。全部聞いてわかっているのに、わかっていないように扱われてしまう。
つらいことです。そんな状況が続いたら世界と関わることを諦めてしまうかもしれません。もういいよ、誰も私のことなんか理解してくれない、なんて拗ねちゃうかも。
もしコミュニケーションを諦めそうになっている人がいたら、思い出してほしいのです。
上で述べた通り、人はあなたに対してどう接していいかわからない。故に「あれ?」と思う反応をしてしまうのです。
理解してくれない人に腹が立つこともあります。
大いに腹を立て一旦落ち着いたら、次に思い出すことは「自分にできることは何?」です。
そう、次にやることがあるので長く腹を立てている暇はありません。
次に考えるのは、あなた自身を説明すること。自己紹介です。
・あいさつ
・自分の名前
・自分の状態(病気や障害の理由など、自分から説明できる範囲で)
・やってほしいこと、やってほしくないこと
新しい人に会ったら挨拶をして自分を説明する、社会生活を営む上で至極普通の手続きです。
最初はそばにいる保護者や家族が代わりにやってくれるかもしれません。
でもいずれは自分で伝えることに挑戦してほしいです。なぜなら、あなたが相手の言うことを聞いているし理解しているとアピールできるのは、あなた以外にいないからです。
あなたがわかっていることがわかれば、周りの反応はきっと変わります。
よく「知的に障害があるので、コミュニケーションを取るのは難しいと思います」と家族や周りの人から相談を受けることもありますが、その人の頭の中で起こっていることの本当のところは誰にもわかりません。
赤ちゃんが生まれてから毎日毎日何かを学び習得していくように、たとえ知的障害があると言われていても、少なくともその人が生きた年数分は「経験」が積まれていくはずですから。経験から学んでいることはただ周囲に対して表現されない(できない)だけであって、その人の中に確実に積み上げられているはずです。
時間はかかるかもしれません。もしどこからどう始めたらいいかわからないという場合は、ぜひ一度ご相談ください。
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私がこれを伝えたかったのは、とても悔しいから。
自分が同じ状況に置かれたらたまらないだろうな、という思いと同時に、実際に「わかっていない人」として接する人とそのように扱われる人を見ていると、いいの?本当にそれでいいの…?と、ついもどかしい気分になってしまうのです。
子どもたちには特に、社会で生きていくためにしっかり挨拶のできる大人になってほしい。お節介ながら、そう願ってしまいます。
一方で、CSIの記録ではあまり触れていないけれど、健常者や支援者にとって、自分が何気なく発した言葉や行動で相手を傷つけてしまうこともよく起きます。私にも意図せずやってしまっていることが多くあると思います。
ただ「障害者や家族の気持ちは自分が当事者にならないとわからない気持ちなのだ」と言われてしまえばそれまでなので、人が人に関わる以上、そういうこともあるかなと捉えています。どんなに近い相手でも、完全にわかり合うことは難しいから。
無意識に傷つけてしまうから関わらないようにするのではなく、私たち(健常者・支援者)はやっぱり相手の立場を想像し続けること、そして未知のものに出会ったときに自分がどう反応するのかを日頃から観察しておくことが役に立つんじゃないかと思っています。
未知のものに出会ったときに自分の中のおそれに反応しすぎないようにするためにも、教育プロセスで、もっと障害・健常がごちゃまぜになるといいなと思います。子どもたちは障害を変に意識せずに受け入れていくことが上手ですし、子どもたちにとって障害のある友達ができることはその先の人生を生きる上で一生の宝物になります*。
*ここについては別な記事を書いています。
一応、世の中の流れは「インクルーシブ教育」ということでその方向に向かっていますので、今後もっと定着していくことを期待して。
いろんな違いを、構えずに自然と受け入れてしまうような仕組みを、もっともっと社会に増やしていけるといいな。
知らないものは、こわい。こわいと怒る、無視する、見て見ぬ振りをする。
人間として極普通の反応だけど、自分は何に反応しているんだろう?
個人レベルでは、仮に怒ったり無視してしまったりした後でも、何に反応したのか考える視点を持っていると、次に外国の方や障害のある方、他の自分とは違う人たちと出会ったときに楽に接することができる気がします。