見出し画像

エッセイという虚空教典

「推し」のエッセイを買った。
私の、いや私達の推しは、とても良い笑い声を出す剣道部の男子高生であり、ある時は教祖で、またある時はどうしようもなく「エンターテイナー」だった。

これから彼の、最初で最後かもしれないエッセイの感想を書き連ねるにあたって、日頃から彼がよく口にしているポリシーに敬意を示して一人称を「リスナー」とさせてほしい。

エッセイでは人となりや思想、普段は見せない裏の思考が知れたりするおかげで「ほんの少し近づけた」気がするのがリスナー的にはかなり嬉しいところだったりする。

ネタバレになるので中身の話は一切合切割愛させて頂くが、彼のエッセイを一言で言うと「解像度が上がることを生贄に彼とリスナーとの間にある距離を目に見えるかたちで召喚」されたような気がしたのだ。

本文中ではいつも通り溢れる語彙でもって、ぼんやり心にあるような思想の言語化を軸に、彼を知る者なら誰でもニヤ…としてしまうようなエピソードの深掘りや、彼という人間についてもかなり満足できるほど語ってくれていた。
上述した「リスナーの喜ぶエッセイ」としては申し分ない情報量だったように思う。
(忙しい中頑張って執筆してくれて、本当にありがとうね…)

では何を感じての距離だというのか、その意味を自分の中で整理する意味も込めて、時間があったら少しだけ聞いてほしい。

どれだけ彼の少年時代の話や家族の話、友人の話を聞いて彼を知った気になったところで、私達リスナーは彼という人間の核心には触れることは出来ない。オブラートよりも薄く見えない、でも確かに張り詰めた一枚壁が常にそこにあった。そしてこれからもきっと、彼の核心に私達が触れることはないのだろう。

実際リスナーとして、日頃の彼の振る舞いには皆を楽しませるための虚実と優しい嘘を多分に含んでいることを痛いほど承知していた。そんな嘘のなかでも確かに存在するエンタメに対する彼の熱にいつの間にかのぼせていたし、気付いたら5年も好きなままだった。

リスナーに対する彼の興味は悪くて「無関心」、よくて「配信に必要なイチ要素」くらいなものだと思っていた。ひとりで喋っているだけでも面白い彼のエンタメに我々リスナーが必要としてもらえるならば、これほど嬉しいことはないが。

彼は私達を「ファン」ではなく「リスナー」としてひとまとめにすることを望んでいたし、特定のリスナーを特別に扱うことを是としなかった。
これは乱暴な解釈だとリスナー1人1人に対して興味がないとも取ってしまえるが、彼の底が「エンタメ」という地盤で地続きなのだと理解すると、誰よりもリスナーを「人間」だと知っているからこそ、人間の業を理解したうえで人間としてリスナーを扱おうとしてくれているからこその選択であり振る舞いであるように思えた。
(万が一にも本人が見たら都合の良い解釈だ!と唸られそうなものですが)

そんな彼はデビューから5年が経った今でさえ、「エンタメ」として余計な邪念が介在することなく「彼の存在そのものを楽しむ」ことが出来る範疇で、リスナーとの距離感を保ってくれている。

彼が正しく「エンターテイナー」でいてくれたから、私達もまた正しく「リスナー」でいられた5年間だった。

彼の初のエッセイを通して、またひとつ彼の一部を教えてもらえたことを嬉しく思う一方で、立ち入ることの許されない領域の広さも再認識した。

彼のこういった良い意味でも悪い意味でも隙がない牽制のおかげで、リスナーと彼の距離感は正常に保たれたまま、またエンターテイナーとしての彼の登壇を待ち侘びる日々に戻ることができるのだ。

そしてこれからも彼が放つ渾身の「エンタメ」を享受し、彼の嘘も本当も含めてすべてを楽しむことができる度量のあるリスナーであれたらいい、と私は思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?