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(人文書の)編集者は何をしているのか  ——1冊の本ができるまで

出版というのはどんくさいもので、1冊の本ができるまでに、どんなに早くても3ヶ月くらいはかかります。学術書であれば10年とか、それ以上の年数が掛かるということも珍しくなく、たとえば昨年末に上梓された安藤宏『太宰治論』(東京大学出版会)は、安藤先生のライフワークである太宰治研究の集大成といえるものですが、あとがきには「当初の刊行予定から二〇年以上も遅れてしまった」と書いてあります。本ができるまでは長い道のりで、関わってくる人も著者と編集者だけでなく、デザイナー、イラストレーター、校閲・校正者、組版者、印刷・製本、そして本を売るための書店や取次などなど……がいるわけです。そのなかで編集者は著者の伴走者として、本のプロデューサー兼ディレクター兼雑用として、企画から販売までのサポートをする仕事です。

とは言っても編集者とは一般的に、原稿を集めてチェックする仕事、と単純に思われている節があります。それも間違いではないのですが、実際に人文系の専門書ができるまで、編集者が(つまりわたしが)どんな仕事をしているのかをご紹介したいと思います。文芸書(小説)や実用書はまた違うと思うので、あくまでわたしの周辺の編集者がどういう仕事をしているのかを書いていきたいと思います。

そうはいっても編集のやり方は会社・個人でかなり異なります。ここに書いたことは、あくまで数ある「編集」のやりかたのひとつだと考えていただければ幸いです。

1.企画

企画とはつまり、どんな本を作るのかを考えること。誰がどんな内容で、誰に向けて書いて、定価と部数はどれくらい、イラストレーターやデザイナーは誰にお願いするか、刊行時期、販売戦略……などなどを考えます。といっても実際は企画が生まれるまでにはいくかのパターンがあります。

A. 編集者が企画し、執筆依頼をする(企画先行)

編集者がどんな本を作りたいかというアイデアを練って、著者にお手紙やメールを書いて執筆のお願いをします。手書きのお手紙を書くことも、この世界ではまだまだ珍しくありません。OKを貰えれば打ち合わせをして具体的に進めていくことになります。執筆依頼のお手紙はラブレターに喩えられることもしばしばで、どんな本を書いてもらいたいのか、なぜあなたに書いてほしいのか、なぜその本が必要なのか、などなどの思いを書き連ねます。結構体力と魂を消費しますが、前向きなお返事が頂けたときは天にも昇る気持ちであり、同時に身の引き締まる思いもします。

B. 既知の著者からの企画

Aとは対照的に、すでに知り合いである著者から、「こんな本を書きたいんだけど」と相談を受ける場合もあります。原稿ができてから持ってきてくれる場合もたまにあるし、書きかけの段階で相談される場合もあります。

編集者は日ごろから人脈作りに余念がありません。学術書の編集者であれば、学会や研究会——その後の懇親会や飲み会も含む——で研究者と知り合って仲良くなることが多いですね。その場で企画が生まれる場合もありますが、そうでなくても仲良くなっておくことは重要です。ある程度研究がまとまった段階で書籍化したいとか、今度こういう共同研究をやるから書籍化できないかと相談されることになりますから。その本が出せると編集者が判断すれば、企画が動き出します。

C. AとBの中間

多くの場合は、上に書いたAとBの中間で生まれるのではないかと思います。たとえば著者と一緒に喫茶店でお茶したり、お酒を飲んでいるあいだにアイデアが生まれてきて、「それって面白いですね、本にしましょう」みたいな流れになることが結構あります。

上のAに書いた執筆依頼をした場合でも、そのアイデアがそのまま本になるかというと微妙で、著者の研究関心や書けることと編集者の意向をすり合わせ、いい落としどころを探っていくことになります。執筆依頼をしても今は忙しいから落ち着いたら……という話になったあとで、アイデアが熟してきて本になる場合もあるし、わたしは執筆依頼をしたあとのはじめての打ち合わせの時に「その本、作って何の意味があるんだい?」と聞かれたこともあります(無事に軌道修正して、企画になりました)。

Bの著者からの提案であっても、そのまま企画になればいいですが、編集者がこうしたらもっと面白いんじゃないか、このテーマとつなげてみたら良いんじゃないか、などと判断して軌道修正することが多いです。

何が言いたいかというと、企画というのは編集者だけで作るものでもなければ、書き手だけが決めるものでもなく、つねに書き手と編集者(ときに第三者もふくむ)の交流のなかで生まれてくるものなのです。ただただ原稿を右から左に流して本にしていくわけではありません(一部に、そういう編集者・出版社もありますが……)。

D. 持ち込み

まったく知らない書き手から、企画の持ち込みがある場合もあります。多くは会社宛てに(電話とか会社のウェブサイトで)持ち込まれますが、たまに編集者個人のtwitterやFacebookにDMが来ることもあります。あとは会社に、すでに刊行された本に共鳴された書き手の方が、「『XXXXX(書名)』担当者」宛で企画書が送られてくる場合もありますね。

学術書は(たとえば博論の書籍化など)持ち込みが結構一般的です。持ち込みについてウェブサイトで案内がある出版社もあります。たとえば風響社の案内がとても親切です。文芸書では持ち込みを事実上受け付けていないところもあり(送られた原稿は新人賞の応募扱いになる)、対応は会社によって様々です。持ち込みについては要望があればまた詳しく書きますが、基本的にはまず会社に問い合わせて、企画の概要をまとめて資料をお送りいただくのがよいのではないかと思います。

送られてきた企画概要や原稿を読んでみて、これはいけると思えば企画になるし、ダメだなと思う場合ももちろんあります。これは単に企画や原稿の質の善し悪しではなくて、会社のラインナップに適しているかとか、編集者個人の知識と経験で取り扱うことができるかという問題もあります。極端な話、法律書の専門出版社に、健康法とか経済学書の企画書が送られても却下されるでしょう。それから学術書では何らかの出版助成が必要になる場合も多いので、大学や機関から助成が得られるかとか、どこかがまとまった数を買い取ってくれるか、なども重要になります。人手が足りない出版社だと、持ち込み原稿をほったらかしにされる場合も結構ありますが、まあせめて一言くらい返事はしてもらいたいものですよね。

E. その他

ほかにも、本を書きたい人がいると知り合いから紹介されるとか、執筆依頼をしたら「それなら私じゃなくてこの人に書いてもらったらいいでしょう」と親切にも他の書き手を紹介してくれるとか(ありがたい=稀です)、会社の先輩から引き継ぐとか、上司から降ってくるとかがあります。翻訳物の場合は著作権エージェントからの紹介(売り込み)が多いです(翻訳書については、こちらに書きました)。

企画ができたら

上のようなかたちで企画ができて実際に動き出すことになったら、会社の企画会議(編集会議)に諮ります。会社によっては、会議で諮ってから執筆依頼をする方式を採っています。企画書には、内容のほかに定価・部数や予算を計算して提出し、会議では採算が取れる見込みがあるかとか、過去や他社の類書の売り上げのデータも見て検討します。多くの場合、会議には何段階かのステップがあるのではないかと思います。(編集部内→社全体とか、編集部→営業部→偉い人とか。)

企画の前に

企画をする前準備として、日ごろから情報収集や人脈を作っておくことも重要な仕事です。日常的に本屋に行ったりネットを徘徊して、どんな本が出ているか・売れているかとか、面白いテーマはないか、どの著者が人気かを把握しておくのは基本です(したがって業務中にSNSを見ているのはサボりではない)。

学会や研究会に行って研究動向を把握したり、研究者とお近づきになるのも大事です。学会には遠方まで出張で行くことも結構あります(近場なら身銭を切って出席している編集者も珍しくないですが)。あと気になるイベントに参加して話を聞いたり、気になる著者がいれば隙を見て駆けつけて名刺交換をしてみたり。仕事の後や土日も出掛けては本になりそうなアイデアを探し回っています。こういうのって、業務なのか業務じゃないのか分からないんですよね。そもそも公私の区別が薄い仕事なので、まあ仕方ないです。残業代? そんな野暮なことを言うのは……。

2. 執筆(のサポート)

めでたく企画会議を通過したら、実際に執筆してもらいます。その間手を拱いて待っている訳ではなく、定期的にご機嫌伺いをして進捗を報告してもらったり、手伝いが必要であればよろこんでサポートします。取材の必要な場合はその手配をしたり、資料探しを手伝ったり、資料を整理したり、などの手伝いをする場合もあります。

とはいえ執筆中の関わり方は、著者や内容によって様々です。頻繁に打ち合わせをして、意見交換をして綿密に積み重ねていく場合もあれば、放っておいても著者がひとりで書いてくれる場合もあります。決して後者が有難いという訳ではありません。一般向けに売る本であれば、編集サイドから積極的に口を出して、細かいところまでチェックして、読者が求めているものを本に反映していく必要があるからです。

編集者というと、締め切りの遅れた著者をカンヅメにしてでもしつこく追いかけて原稿を取り立てるというイメージが一部にはあるみたいですが、そもそも書籍の場合は締め切りがゆるいですし、専門書出版社には山の上ホテルに著者をカンヅメにする予算もありません。わたし個人としては、厳しく原稿を取りにいくよりは、じっくり待って良い文章が生まれるのを待ちたいと思っています。アイデアがないとか、書けなくて困っていたら、なんとかするのも編集者の仕事だと思います。編集ってケアだと思っているので困りごとがあればいつでも話を聞いて一緒に悩むような関係性が理想だと思っています。

すでに原稿が出来上がった段階で持ち込まれた企画(たとえば博論の書籍化)でも、修正をお願いすることが多いです。ここの意味が分からないなどの細かい修正ももちろんですが、これに関する議論が足りないとか、この章とこの章の関係をはっきりさせたほうが良いなど、何章か追加する修正もあります。

あとは雑誌やPR誌、ウェブマガジンなどの媒体を持っている出版社であれば、書籍化を見据えてそこで連載をして原稿を蓄積していく場合もあります。最近はnoteに連載するのも結構見掛けますね。

3. 原稿整理

無事に原稿ができて、修正も終わったら「原稿整理」というのを行います。文字通り原稿を整理するわけですが、具体的には文章をゲラ(校正刷り)にする準備、つまり“てにをは”を整えたり、表記を統一したり、誤字脱字の修正、表記のルールに則った修正、などをしていきます。一般向けの本や対談であれば、見出しを付ける、段落や語順の調整まで編集者に任されることもあります。地味で時間も掛かるんだけど、本の完成度にかかわる結構重要な(だけどなかなか分かって貰えない)仕事です。

4. 組入

原稿整理が終わって原稿が完成したら、入稿してゲラにしてもらいます。昔は金属活字を並べたり写真植字機という機械を使って文字を組んで本のページを作っていました。いまは本のレイアウトはInDesignやQuark等の組版ソフトを使っておこわなわれています。その作業をするのは印刷所のDTPオペレーター、プロの(多くはフリーの)組版者か、あるいはブックデザインをするデザイナーが本文組みまで行う場合もあります。最近は編集者がInDesignを使って組む場合も増えてきました。いずれにしても、ただ文字列を組版ソフトに入れておしまいみたいな、そんな簡単なものではありません。細かい部分を人の手で見ていく必要があるので時間が掛かります。活字の時代から培われてきた細かい決まりごとやノウハウがあるので、餅は餅屋でプロに任せたいところです。

デザイナーが組むのでなければ、ページのレイアウトも編集者が指定します。書体、級数(文字の大きさ)、字詰め(一行に何文字入れるか)、行取り(一ページに何行入れるか)、行送り(行と行の間隔)、天地左右の空白、見出しの書体と体裁、柱とノンブル(ページ番号)の位置や書体、などなどを考えてデザインします。機械的に決める編集者もいれば、デザイナーぶってこだわる編集者もいます(でもプロのエディトリアルデザイナーのレイアウトには敵いません)。

書体も、書籍の本文書体は沢山ありますが、それを本のイメージにあわせて決めます。代表的なものは筑紫明朝、リュウミン、本明朝、黎ミン、ヒラギノ明朝、精工舎書体、イワタ明朝体、游明朝体、小塚明朝などでしょうか。それぞれにウェイト(太さ)のバリエーションもあり、どの大きさでどれだけの行間や余白を取るかも考える必要があります。

かつては手書き原稿に赤字をいれて、どのように組むかを編集者が指示していました。文学館の展示で、漱石が書いた自筆原稿に「9ポ」「12ポG」「2行アキ」「3w下げ」とか赤字が入っているのを見たことがないですか? ないですよね……。 編集者が、「ここは9ポイント活字で」「ここは12ポイントのゴシック体」「ここに2行の空白」「3文字分下げたところから」と指示をしているのです。

大佛次郎「風船」自筆原稿(国立国会図書館蔵)
タイトル横の「2」は2号活字の意。
手書き原稿の時代、句読点には<、拗促音には○などの記号を付す決まりだった。

デジタル化された今も、データとは別に紙の原稿(=正原稿)を添付して、赤字やマーカーで指示を入れ、その通りに組んでもらうことが多いです。正原稿には、ここはこの書体のこの大きさの文字だとか、ここは余白をこれだけとか、赤字で指示を入れていきます。これも相当に地味で根気のいる作業です。

5. 校正

何日かすると組み上がったものが印刷されて届けられます。いわゆるゲラ(校正刷り)というやつです。最初に出てきたゲラが初校、初校に朱を入れて修正してもらって次に出てきたら再校、以下、三校、四校、最後に念のため取るのが念校。三校くらいで終わるのが一般的でしょうか(内容や進め方による。原稿段階で磨いていれば初校責了も可能だし、細かく見ていって五校とか六校とかになることもある。当然製作費が掛かる。)。なお、ここでいう校正とは、広く文章や内容のチェックと修正を意味するものとお考えください。著者校正、引き合わせ、素読み、校閲などを含みます。

なお、おなじコウでも「稿」は原稿の稿、「校」は校正の校なので、ここの区別は厳密に。初稿といえば著者が書いた最初の段階の原稿で、初校といえば最初の校正刷りのことです。

校正にもいろいろな種類があるので、見ていきましょう。

引き合わせ

引き合わせというのは、前の段階に入れた指示が新しいゲラにちゃんと反映されているかを確認すること。原稿→初校の場合で言えば、原稿通りの文字に組まれているか、赤字の指示どおりに組まれているかを確認します。手書き原稿をもとに活字を拾って植字していた時代は、それこそミス(=誤植)が多かった。いまはテキストデータを流し込むから、それほど大きな間違いはないのですが、wordとInDesignの互換性には結構な問題があるので、全くない言えませんし、人の手で作業しているのでどうしてもミスはあります。よくある例として、wordでルビを入れた文字をInDesignに流し込むとほぼ全て飛ぶので、抜けがないか丁寧に見ていく必要があります。(「できればwordのルビ機能を使わないでほしい」と編集者に言われたことがある書き手の方も多いと思いますが、そういうなの理由です)。

初校→再校であれば、初校に入れた赤字が再校に反映されているかをチェックします。赤字は手書きなので組む人が読めなかったり読み間違えたり正しい校正記号を使っていなかったりするとミスが増える。ですのでゲラに入れる赤字は読みやすくはっきり書いて下さい!!

校正・校閲

狭い意味での校正は文章や文字の誤りを正すことで、校閲は内容の間違いをチェックすること(と説明される場合もあるけど、「校正」にはもっと広い意味が持たされる場合が多いです)。校正のうち、とりあえず文字だけを丁寧に追ってゆっくり(1文字0.5秒くらいで)読んでいくことを「素読み」といいます。

校正や校閲というと、専門の部署で経験豊富な校正者が一字一句逃さずチェックし、赤字を入れている……というイメージをお持ちの方も多いかもしれませんね。実際には校正の専門部署を持つ出版社はごく一部に限られていて、校正はフリーや校正会社に外注するところが多いのです。小規模な出版社であれば、編集者にできることは編集者がやる、というところが多く、編集者が校正の役割を引き受けることが多いのが現実です。とくに出版不況と言われて予算が縮減されるなかで、「校正はプロに任せなくても、編集者が丁寧に見ていけばいいよね」的な流れになっているところも多いが、これは非常によろしくない、と思っています……。

著者校正

著者校ともいう。翻訳書なら訳者校。ゲラに編集者や校正者が疑問やコメントを書き入れて、著者に送り、著者は修正したいように赤字を入れて出版社に送り返すという必須のプロセスです。

校正を進めながら……

校正を進めながら原稿が追って出てくることも結構あります。最初から全ての原稿が出揃っているわけではなく、あとがきや索引、奥付、著者略歴などはあとからできます。索引作りはなかなかのくせ者で、編集者にとっては悩ましくもやりがいのある仕事なのですが、まあまた別の折になにか書きましょう。

6. 装幀の発注・取引先・他部署との調整

校正を進めながら、本の製作・販売に向けていろいろなことが進行していきます。大きな仕事は装幀や装画を発注すること。本のイメージにあわせて誰にお願いするかを決めて(だいたい、会社でいつもお世話になっている方々のなかから発注します)、入れる要素や帯文を考え(もしくは帯文を誰かに依頼して)、デザイナーと話し合って要望を伝えていきます。

印刷所や製本所ともスケジュールや資材の調整をする場合もあれば、それは製作部などの部署があってそっちがやってくれる場合もあります。

本の販売に関しては営業部や宣伝部など他の部署がやってくれるのですが、そのために情報を伝えたりとか、販売戦略を一緒に考えたりとか、イベントの手配をしたりとかもして、本が売れるように尽力します。予定の配本日にちゃんと販売できるように、スケジュール管理も怠りなく。

先に述べたとおり、小規模な出版社は編集者にできることは編集者が行う場合が多く、組版、校正、レイアウト、場合によっては装幀まで編集者が行うことがあります(わたしも何回か装幀をデザインしました)。お金に余裕のある出版社なら、分業して行うことが多いと思います。

7. 校了

もう修正するところがなくなって(あるいは時間切れになって)、赤字を入れ終わったら「校了」。実際には「責了」と言うことが多いのですが、これは「責任校了」の略で、最後のゲラに入っている赤字はそちらの責任で修正してください、それで校了です、という意味(だと思う)。校了したらとりあえず打ち上げをするというのも太古より伝わる伝統。

8. 校了のあとは

校了したら、製本前に「白焼き」とよばれる最終確認の紙が来ます。本は大きな紙に16ページ分をレイアウト(面付)して印刷して、それを折ったもの(折丁)をいくつも重ねて製本するのですが(くわしくはこちらに)、面付して製版した段階で適当な紙に印刷したのが白焼です。この段階でも修正できなくはないですが、できればしないほうが良い(製作費も嵩むし印刷所も手間が掛かる)。

校了してしばらくすると、初刷ができあがる前に少部数の「見本」ができます。見本といっても書店にならぶものと全く同じだし、もちろん奥付も「初版第一刷」になっています。まず印刷・製本にミスや不具合がないかを確認して、つぎに著者に発送します。同時に著者のお知り合いやデザイナーさんはじめお世話になった方々、各種メディアに献本として発送します。

9. 発売

本が発売されたらとりあえず本屋に行って、あの本が並んでるかなと見に行ってしまうのが編集者の性。目立たないところにおかれていたり、違うジャンルの棚にあったら悲しい。本の販売や宣伝は他部署の仕事とはいえ、編集者でもいろいろとやることがある。あと、SNSやアマゾンのレビューを、多くの編集者はしっかりチェックしています。

刊行記念のイベントなどがあれば編集者も駆けつけて後ろの方から見守るし、メディアや読者からの問い合わせに対応する。誤植があれば泣きながら対応(正誤表を入れるとか、重版で直すとか)するのも編集者の仕事。

発売されてしばらく市場や読者の反応を見ます。そこから次の企画が生まれてくるのです。完璧な本作りというのはありえないから、毎回なにか反省点があるものですが、それを次に生かす……ことができればよいのですが……。

さいごに

こうして一連の編集者の仕事をまとめてみると、かなりいろんなことをやっているんだなあと、自分でも思います。企画には発想力が必要だし、執筆依頼には表現力、執筆段階のサポートには傾聴力、校正には国語力や幅広い知識や批判的思考力など、ほんとうにいろいろなスキルが求められます。もちろんひとりですべてをカバーすることはできなくて、色々な人の手を借りながらやっている訳ですが、なかなかやりがいのある仕事だと思います。

最近はKindleなどで著者が直接出版できるようになりましたが、見ていると玉石混淆、しかも「石」の割合がかなり多いように思います。それも悪いことばかりではないのでしょうが、一定の質をクリアしていると出版社が責任をもって世に送り出す本とはずいぶんと異なるように思います。

編集とは集めて、編む仕事です。言葉を集めてきて、それを編んでひとつの本にする。書き上げられた段階の言葉はまだ素材で、それを編んでようやくひとつの商品になります。たとえるなら編集の手を経ていない原稿は、路上の弾き語りみたいなものです。それが悪い訳ではないけれど、音響機器を通して聴くのに適した質のものを作るためには、プロデューサーやスタジオエンジニアが必要です。本も同じで、生の原稿を編集者が、校正者やデザイナーなどの力も結集してひとつの作品に仕上げていくのです。

編集者といっても色々なタイプがいます。企画力やフットワークが優れている人もいれば、人見知りだけど信頼できる編集者もいます。著者との相性の善し悪しもあり、どういうタイプがすぐれた編集者であるということもできません。編集者によって仕事のどこに重きを置いているかも違うでしょう。

この仕事に就くまでは、あとがきの後ろに「最後まで丁寧に担当してくださった○○社編集部の××さんに感謝を」などと書いてあると、なんか内輪ネタっぽくて好きじゃなかったのですが(今もあまり好きではないですが)、でも同業者がどんなにふうに著者と一緒に苦労して、そして楽しみながらこの本を作ったのかなと思いを馳せてみるようになりました。

わたしは編集者は黒子だと思うので、あまり前面に出るつもりはありません。本が良い本であればそれはひとえに著者の努力のたまものだと思っています。でも、本を読むとき、この本ができるまでには、その裏側でどんなふうに働いている人がいたのかな、と少しでも気に留めていただけると、わたしはとてもうれしく思います。

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