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休職日記② 2023.12月

こんにちは、社会人5年目で看護師をしているあなやと申します。

この度、職場であったある出来事によりうつ病の診断が下り休職中の身です。

休職中の体調の変化、気持ちの変化、治療の過程を記録をしたいと思いこのノートを書いています。
もし同じような境遇の方の何か力になれれば幸いです。

前回の記事はこちらになります


診断後の体の変化

うつ病と診断されてから、処方されたお薬を飲み始めて数日。
4−5日経った頃から夜の睡眠は途切れることなく深い眠りをとり戻しました!
しかし、過眠傾向になり一日12時間寝て昼間も寝て…というように薬が体に馴染むまでの概ね2週間はあまり活動できませんでした。
体が重だるく、起きていても動けにこともあり外出をするのも辛かったです。

あとは食欲が爆増しました笑
薬の効果であることは事前に教えてもらっていたものの、食べたくなかった自分が嘘のように食べ続けていました。ご飯が美味しいというのは幸せなことですね。

薬を飲み始めてから2週間後に受診しました。眠り過ぎてしまうことを相談したら、今は体が睡眠を望んでいるので、あまり生活のリズムなど考えずに眠って良い、と言っていただきとても安心したのを覚えています。

心の変化

薬を飲んで体調の変化に悩まされた1ヶ月でした。
感情の起伏が激しかったようにも思います。夫とも喧嘩が多かったかな。

どうして私はこんなになってしまったんだろう、こんなことなら受診しなければよかったかもしれない。そもそも私がうつ病になったのは原因がはっきりしているじゃないか!
私の健康だった体と心を返してくれ、休職にまで至り失った私の社会的信用を返せよ、私がこの期間に稼ぐはずだった賃金を返せよ。ローンだって組みにくくなったし、本当はもう少ししたら子供が欲しかったのに、全部私のせいじゃないのに。

…など他責思考が頭を支配していました。
だけどその後には、あんなに相手のことを心配して半年間目をかけて育ててきたのに、今になってこんな感情になるなんて、薄情なやつなんだ…と恥ずかしくなります。

今だってふとした瞬間に上記のような思考になってしまいます。
ですが、長い人生の中で大きなショックを受けるようなことには何度も遭遇するのです。その度に人のせいにばかりしていては、苦しいのは私自身だということに気づきました。人生の中の事故、そう思うようにして今はあまり考えないようにしています。これが正解なのかはわからないけれど、いつか向き合えるだけの体力ができた時に考えようと思います。

12月にしていたこと

体調がすぐれない2週間の間は、正直今になって何をしていたか思い出せません。脳死で日々の買い物に行ったりしていたようなことは思い出せます。

体調が戻ってからの日々では、外に出て散歩を心がけたり、義両親が泊まりに来る予定が前から決まっていたのでその準備とおもてなしをしました。

友人と始発で海に行って、明け方の海を震えながら眺め、彼女がウクレレを弾いてくれて歌いました。
海を見るたびに私はこの日の景色と音色を思い出すでしょう。それくらい素敵な思い出です。

また旅欲が強く、寝台特急に乗り青春18切符で旅の計画も立てましたが、寝台特急が明け方にまさかの打ち止め。京都旅行に変更し、母と京都を満喫してきました。
ですが、ひょんなことで喧嘩をしてしまいました。あんなにお母さんに怒るなんて人生で初めてぐらいに。(和解済)

会社とのやりとり

休職届けを提出してほしいとのことで郵送で届きましたが、一緒に送られてきた就業規則を読むと、このままでは来年度私は有給が付与されないことになるようです。
一応、業務内で起こったことでこうなってるんだし…労災にして争うつもりはないけど…有給だけでも…。
めちゃくちゃ厚かましいやつだなと悩みましたが、有給付与はしていただけないか検討だけでも…と問い合わせたところ、来年度の有給は規定通りに付与していただけるとのこと!安心すぎました。

終わりに

これを書いているのは2月の初めなのですが、やっぱり振り返っても12月は体調があまり良くなかったです。

最近は寒暖差が激しすぎるので皆様もご自愛くださいね。

見出しの写真は、始発で見に行った海です。寒すぎる。


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