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2-13. いつまでいるかわからない、だからここにいたい

わっはっは、と大きな声をあげてジョージは笑った。

「それは半分僕のせいだね」

私のバックパックを担ぎ、私のスーツケースを転がすジョージに事の次第を説明しながら、私は正午近いDarlinghurst Streetを歩いて行った。

「だから、とりあえずwifiを使わせてもらいたいの。どこか空いているホステルが見つかったら、そこへ移動するから」
「ま、そんなに焦らなくてもいいよ。とりあえずランチを食べて、昼寝をして、コーヒーを飲んでから考えればいい」

いかにもアルゼンチン人らしい鷹揚さで、ジョージはのんびりと私の午後の予定を決めてくれた。

「ありがとう、でもそんなことしてたら今日がもう終わっちゃう」

オーストラリアでの、貴重な1/365日が無為に終わろうとしている事に、私は焦りと苛立ちを感じていた。

「今日なにか予定があったの?」

ジョージの質問に、私は本来私がすべきであろうアジェンダを思い浮かべた。

「まず、仕事を探さなきゃ。図書館に行って、求人情報を検索して、履歴書を書いて、カバーレターを書いて送るの。あとは、住むところも決めなきゃいけないから、ルームメイトを募集している掲示板をチェックする。この街でネットワークも作りたいからMeetupやfacebookグループも入りたいし、面白そうなイベントがないかも見ておきたい。家族に連絡もしないとだし」

「忙しいんだね、でもオーストラリアには何しにきたの?」
ジョージは感心とも呆れとも取れる口調で訊いた。

「何って、それは…」

私は言葉に詰まった。私は、なんのためにここにいるのだろう?

仕事をしに来た訳ではなかった。「ワーキングホリデー」という制度はそもそも、「長期で旅行しながら、その間の旅費や生活費を稼ぐために労働しても良い」という仕組みだと思う。もちろん、オーストラリアで将来的に就職できれば良いなとは思っていたけれど、日本の中小企業でさほど専門性のない業務をこなしていた自分が、海外の労働市場で選んでもらえるだけの市場価値があるとは思えなかった。

ただ、「何かをしなければ」と言う焦りはあった。32歳、同世代はみな出世したり出産したりしている。身体も心も脳も、最も柔軟に吸収でき、やりたいことは何でもできる年齢だという自覚はあった。日本に帰るころには33歳になっている。帰国したときのために、仕事やスキルに結びつく何かしらの実績は残しておきたかった。

そしてさらにいえばこれまでのキャリアから離れて、ゼロから自分に合った何かを見つけたい、そんな風にも思っていた。就職氷河期のあおりもあって、私はこれまで「食べるための仕事」しかしていなかった。仕事があっただけありがたいとは思うものの、自分の本当にやりたいことをやれないまま年を重ねて可能性が狭まって行くことが怖かった。気づいたときには引き返せないところまできているのではないだろうか? ジョージに日本の労働市場構造を説明する気にはなれなかったものの、自分の置かれている状況はのんびりとした旅行者のそれとは違うのだと主張したいような気もした。

——でも。
心の奥底で何かが囁いた。ウルルのユーカリの下から見えた空が蘇った。

——そんな風に年齢や市場価値で自分を縛る世界から離れたくて、私はここへ来たんじゃなかった?

『向こうについてから考える。自由な一年を過ごしてみようと思って』
リサに語った自分の言葉が、まさかこんなかたちで自分に返ってくるとは思わなかった。
もし本当に『自由な』一年を過ごすのなら、そもそも仕事やTo Doで自分を縛る事すら、しないほうがいいのではないだろうか?

もしかしたら私は、一年後のことばかりを憂えて、今目の前にある、今ここにしかない美しいものを見過ごしてはいないだろうか。

急にひんやりとした感触が肌に触れた。Fitzroy Gardensの噴水の飛沫だった。空は呆れるくらい晴れ渡っている。風の角度によって、噴水からかすかな虹が揺らめいて見えた。私は今この数分間、どこにいたのだろう? 心がまだ、あのプラスチックの椅子とグレーのパーテーションの前に居はしなかったか?

思考が袋小路に入りかけた瞬間、ジョージのアパートについた。
「まぁ、とりあえずお昼ご飯を食べてからにしよう。トルティージャを焼こうと思うんだけど、好き嫌いはない?」
私のバックパックとスーツケースを抱えたまま、ジョージは器用にアパートメントの玄関の鍵を開け、私のためにドアを押さえた。

「ないよ、ありがとう」
臣下に迎え入れられるお姫様のように、姿勢よく私はアパートの中へ足を踏み入れた。
コカトゥが頭上の枝で鳴いた。穏やかな午後の始まりだった。

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