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【全国のママたちへ】元塾講師が伝えたい、「自己判断」の大切さ。

※冗長になってしまったので、はじめに説明します。本記事は「子育て論」についてまわりくどく考察したものになります。

こんにちは。askyです。
自己紹介系を除くと、今回が記念すべき1投稿目になります。

自己紹介にも書きましたが、大学時代は大学受験専門塾の講師としてアルバイトをしておりました。そして、その当時担当していた生徒たちが大学に進学するということで、久々に教え子たちとやりとりをしました。
※このようなご時世なので、もちろんチャットでのやりとりです。本来であれば同窓会でも企画したいところ...

ついこの間までガキだったらあいつらも大学デビューか...という思いを馳せつつ、講師という立場で彼らと対峙してきた経験をもとに記事を書いてみたいと思います。

前段。私の講師生活について。

前述の通り、国公立大学受験を専門とする塾でアルバイトをしておりまして、私は中学の数学を教えていました。
縁にも恵まれまして、私は中1から中3まで、同一のクラスを持ち上がりで担当させていただきました。併せて講習も数え切れないほど担当しておりましたので、その学年に在籍する生徒の半分は顔見知り言っても過言ではないでしょう。(さすがに過言かもしれないです)
加えて、年に1度は保護者会を開催しておりましたので、親御様とのコミュニケーションも取っておりました。担当していない生徒のお母様から相談をいただくこともあったりして、講師としてそれなりに信頼されていたんじゃないかな、と自負しております。

塾という環境を活かせる生徒、活かせない生徒。

毎週生徒たちと対峙していく中で見えてきたことがあります。
それは、「自己判断ができる生徒ほど伸びる」ということです。

知識の吸収力が早く、コンスタントに高得点が取れる。そんな子たちに共通するものは何なのか?純粋に気になったので、何人かの生徒に聞いてみたのがきっかけです。
彼らが口を揃えて言うのは、「自分のために塾に通っている」ということでした。
大学受験を見据えて今のうちから基礎力を養成したい。中高で学ぶ数学を先取りしたい。こんな立派な動機ではないにせよ、「学ぶのが楽しいから」「クラスで1番になりたいから」と言って、自ら選択・判断をして通塾しているのが彼らの共通点でした。

ではなぜ自己判断のできる生徒ほど成長力・成績ともに優秀なのか?
それは、自らの限りある時間を「勉強」に充てていることに責任感を持てているからだと考えます。
下図にて、軽く整理をしてみました。自分がもたらした結果が成功にせよ失敗にせよ、それを引き起こしたのが自分自身であるという自覚こそが次のアクションにつながるわけです。大げさにいうと「PDCA」の「Do→Check」のようなものでしょうか。

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変わる生徒、変わらない生徒。

そんな彼らを相手に、できるだけ能動的に授業に取り組んでほしいという思いもあり、私は基本的に強制力というものをほとんど働かせませんでした。
板書をノートに取っていなくても怒らないし、宿題を最後までやっていなくても居残りさせない。とにかく結果を出せば余計なことは言わない。逆に、テストで低得点が続けば「なぜそうなったのか?」を自問自答させます。

そうしていくうちに、生徒たちの中で変化が生まれるのです。

楽をすることを覚えた子は小テストで得点できても、模試になると点数が取れなくなる。
計算問題を怠る子は、いつまで経っても解答スピートが速まらない。
板書を取ることで満足してまう子は、応用問題が解けない。

講師として敢えて強制しなかったことで、彼らの結果は出たり出なかったりでした。しかしそんな中、「どうやったら成績が伸びるようになるのか?」と勉強方法を相談しにくる生徒がぽつぽつと出始めるようになったのです。
これが、彼らにとって初めて「能動的アクション」のキッカケとなったのではないかと思います。
そして、これを気に取り組み方を改めた生徒たちは、総じて成績を伸ばしていきました。
当時はクラス平均点が低かったこともあり、講師としての指導力に疑問を持たれていたかもしれませんが、私は、彼らの変化の種を撒いていたのです。
ちなみに、私とのやりとりを経て「自らの意思で塾を辞める」という判断を下した子もいました。いわゆる「教育ママ」である親を説得して理解を得られたというのですから、それも立派なものだと思います。後日談にはなりますが、彼は見事東大に合格しました。

子供は会社。親は株主。

ここまで述べてきたように、私は数学という教科を通じて「学び方、生き方を教える」ことを意識してやってきました。アルバイトという分際で出しゃばったことを、と思われるかもしれませんが、高いバイト代をいただいている以上、そして生徒さんの貴重な時間を預かっている以上、それくらいの貢献はするつもりで取り組んでいました。

では、なぜ私にそのような価値観が染み付いているのか?振り返ってみると、自分が中高生だった頃に起因している気がします。

私が育った家庭は比較的裕福で、私立中高の学費を出してもらった上に塾にも通わせてもらいました。習い事もしていたので、かなりの投資をしてもらった自覚があります。
ただ、無条件にお金を出してもらっていたわけではなくて、「〇〇をするためには××が必要」というふうに、親を説得する必要がありました。

親がこういう表現を使っていたかどうかは不確かですが、「子は個人事業主、親は株主。株主たる親の理解を得ないと投資をしてもらえない。」という意識を若くして植え付けられていたのは確かです。

この考え方が健全であるかどうかはさておき、小さい頃から芽生えていた「自己判断」の意識が人格形成に大きく関わっているものだな、と。振り返ってみると、そのように感じます。

意味ある投資をしよう。

ここまで私の考える「子育て論」的なものを書いてきましたが、いかがだったでしょうか。
所詮素人の自己満足のような記事ですが、実経験・実感が基づいているものなので、少なからず参考になるんじゃないかな、と思ったりしています。

このご時世ですから、お子様方と時間を共にすることも増えたのではないかと思います。
接し方を悩んでいる親御様方は、ぜひこれを機に意味ある投資をしてあげてみてください。

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