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2019年5月11日の夜、弟は天国へと逝ってしまいました。

もう丸二年経つのかと思うと、短いような長いようなよくわからない感じです。

この二年を振り返ると、私の生活は激変しました。

そして、今も激変は続いています。

2019年以前と以降では時間の感覚が全然違うことに、これを書いていて気が付きました。

2019年以前は時間の経過がサクサク進み、それこそあっという間という感じですが、2019年以降から今この瞬間はサクサクでもなく、ノロノロでもなく、何とも言えない感覚です。

時間に対する感覚も変化したのかもしれません。


弟は死にたくなかったのに、死んでしまいました。

私は死にたいのに、死ねません。

最期の最期まで彼は死にたくなかったのです。

息を引き取る瞬間、彼から諦めの感情が痛いほど伝わってきました。

悔しいを通り越して、全てを諦めた彼の死に顔は、とても穏やかでした。


私が乳がんだということが分かる日、夢に弟が出てきました。

マンモグラフィーを受けたその日に病院から電話がかかってきて、すぐに再検査を受けた方がいいと言われ、1週間後に精密検査を受けることになっていた当日の朝のことです。

1週間もの間、生きた心地がせず、不安で頭がおかしくなりそうでした。

そんな私を安心させるかのごとく、弟が、生前見た事のないような微笑みで、私の手を握ってくれました。

手の感覚がとてもリアルで、とてもあったかく、安心が伝わってきます。

夢の中で私は弟の名前を呼び続けていました。

弟がすーっと消えていく時、私は「○○くん!待って!待って!」と号泣しながら叫び続けました。

そこで目が覚めます。

目が覚めても泣いたままでした。

そのまま布団の中でしばらく泣き続けました。

その後、私は自分が乳がんであることを知るのです。

でも、私の乳がんは弟や父のガンのように深刻な状況ではありませんでした。

早期発見というものです。

主治医の先生からは、「健診で見つかるラッキーなケースですよ。」と言われました。

亡くなる前の弟の、私への最期の言葉は、「ねーちゃんはまだまだ生きられるから。大丈夫。頑張って。」でした。

私のガンが早い段階で見つかったのは、弟からの「ねーちゃんは生きろ。」というメッセージのように感じました。

ホントは変わってあげたかった。

弟と私のガンのステージが逆だったら良かったのにって何度も思います。

でもそうではなかった。


弟が亡くなって、私ははじめて弟の存在が自分の中で大きな支えだったことに気が付きました。

それまでは、いるのが当たり前すぎて、そんな風に全く感じていませんでした。

父が20年前にガンでなくなった時の悲しみとは全く違う感覚です。

喪失感

まさにこれです。

恋人のような、親友のような、同志のような、片割れを失った感覚です。

あるがままの私を認め、受け入れてくれ、理解していてくれた唯一の人だったのだということに気が付きました。

私が私でいられる人。

それが弟だったんだなぁと亡くなって知りました。

この二年、彼はどんな風に私を見ているのだろうか・・・。

今日は彼とよく酌み交わしていたビールを飲んで彼の供養をしたいと思います。


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