ひとりごちる

たくさんの時間を過ごしてきた人と離れることになった。当然のように埋まっていた時間が、急にポッカリと空いてしまいさてどうしたもんか。頭を抱え、次の日も頭を抱え、抱え続けるうちに梅雨が始まっていた。流石にやばいと思い何かすることにした。(暇)

手始めに、お酒に溺れる。今日はこれだけしか飲まないと意気込むのだが、気づけば空いた缶を横目にカクヤスに吸い寄せられていく。何千、何万、何億、何兆タイムリープしても、この未来は変えられないのだ。(怠惰)

次に、新しい事を始める決心をした。ちょうど近所の出版社の求人が出ている。

なんて奇跡!!!
神様が与えてくれた絶好のチャンスに違いない!!!

なんて奇跡!!!
神様が与えてくれた絶対のチャンスに違いない!!!

なんて奇跡!!!
神様が与えてくれた絶好のチャンスに違いない!!!

その感情は2週間に渡り自分に生きる希望を与えてくれた。空き缶たちも真っ白な履歴書も2週間ずっと声援を送ってくれている。なんて幸せな時間なんだろうか!!!


意を決して空き缶たちとお別れをしたある朝、たまごを焼いていると履歴書の声援が怒号に変わっていた。履歴書があまりにも怒るので、たまごが熟すの待たず平らげて、家の外に逃げ出した。家を出ても行く宛もない。
雨も降り出し、次第にこっちに怒号を向け始めた。

逃げて
逃げて
逃げて
休んで
逃げて、

ようやく声援をかけてくれる場所を見つけた。
そこには、たくさんの未来の仲間がいて、温かく声をかけてくれる方向に手当たり次第話しかけに行った。

A4サイズのやつ
文庫サイズのやつ
絵ばっかりのやつ
へんなかたちのやつ
たくさんいた。

気がつくと、雨の怒号は止み太陽がチラチラ笑みを浮かべている。たくさんの仲間に感謝しておうちに帰ると、履歴書だけはまた怒号をぶつけてきた。

たくさんの仲間の声援を力にかえ、履歴書を必死に説得した。何度も何度も時間をかけて、説得してようやく納得した形でポストに投函する事を決めた。


世紀のお別れをした数日後、知らない人から電話がかかってきた。

「1日の15時にこちらに来社することは可能ですか?」

背筋が伸びる。ぜひ面接にきてほしい、とのこと。友人の結婚式以来来たことのないスーツに身を包み、その日を迎えた。自転車に乗って駅に向かう眼前の景色が普段と違い、違和感を感じ得ない。

出版社は狭いながらも整理され、取り扱っている商品を丁寧に陳列していた。
奥の社員に声をかけると、面接が始まり、緊張のあまりあっという間に終わった。最後に社長とお話しさせていただき、面接は終わった。頭を下げて、会場を後にした。履歴書が社長や面接官の方を説得してくれているのが、扉の端から目に入った。

数日後、これから宜しくお願いしますと合格の連絡があり、初出社日もすぐ決まった。ここまでの前振りが嘘みたいに、あっさりと進んだ。

そこから、毎日本屋さんに出向く日が始まった。モノと人とでは訳が違い、毎日毎日本屋に入るのが不安になり、何度も話すべきことの確認をした。それでも、大抵の人は優しくて出迎えてくれ、帰りはホッと胸を撫で下ろした。


家に帰ると、疲れてもうほとんどモノの声が聞こえない。ただひとり、お酒だけが執拗に話しかけてきた。

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