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(読書感想文)クラシックに未来はあるか

指揮者の大友直人と評論家の片山杜秀による鼎談、音楽学者 岡田暁生氏の論評そして指揮者の大野和士氏によるオペラ「紫苑物語」にかける日本初オペラへの想いという3部構成の電子小冊子「クラシックに未来はあるか」を購入して読んでみましたので、感想などを書きたいと思います。

クラシック鑑賞は衰退したのか?

この問題については、おそらく岡田暁生氏の書いている次のような文章が答えなのだろうなと思います。

どうして戦後昭和の日本人がかくもクラシック教育に熱を上げたかといえば、そこには今では考えられない素朴な「教養」への信仰があったのだと思う。

80年代以降、いわゆるサブカルチャーが次第に市民権を得てきて、メインカルチャー(クラシック、ジャズなど)が、相対的に衰退していったのだろうなと思います。

同じころに、ほとんど現代音楽専門の団体ですが、クロノス・カルテットがジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」やビル・エヴァンスの曲などをレパートリーにし始めましたから、これも時代の必然だったのでしょう。

映画とクラシックコンサートを比べてみる

映画といえば、おおむね2時間程度の上映が基本ですから、クラシックコンサートとほぼ同じ時間です。しかし、映画とクラシックコンサートの違いをリストアップすると、次のようになります。

映画のメリット
(1)音が出ないお菓子やドリンクを飲みながら鑑賞できる
(2)上映中にトイレを催したら、こっそり中座できる
(3)アンプリファイドで音量を上げているので多少の咳払いなら問題なし
(4)感動すれば泣くもよし笑うもよし
(5)「とりあえず」のデートコースに使える。

上の5つは、クラシックコンサートではほぼ不可能です。マーラーの長大なシンフォニーを90分近く身じろぎ一つせずに鑑賞するのは苦行のように思えてきます。

しかもこの割と気楽に楽しめる映画にしても、昨今は2時間も集中して見れないという若者がいるようですし、昨今はすぐにレンタルや配信で提供されますから、こちらもあまり将来性はなさそうです。

19世紀の娯楽・社交を21世紀に行う

この小冊子に寄稿している人たちは、いずれも「コンサートを行う。」ということに主眼を置いているようですが、一般リスナーにとっては必ずしもコンサートだけが音楽鑑賞の機会でもないのですし、録音された音源を鑑賞して感動している人に向かって、「それは本当の音楽鑑賞ではない。」と文句を云う筋合いもありません。

私は一度NHKオンデマンドでワーグナー作曲、歌劇「ローエングリン」(字幕付き)を初めて全編通して鑑賞できました。一度流れがわかってしまえば、あとはYou Tubeで公開されている全曲配信を見る楽しみもできます。

クラシックコンサートというのは、結局19世紀までの娯楽であって、メディアとそれを支える技術が発達した21世紀に、それを継続するにはあくまでもメインカルチャー最高峰としての地位を維持するしかないのだと思います。

ブルックナーの交響曲コンサートでは、休憩時間に男子トイレに長蛇の列ができるそうですが、ヴァイオリニストの天満敦子さんのコンサートには女子トイレに長蛇の列ができていました。

決してクラシックファンが減っているとか、若者がクラシックを聴かないとか断言はできないと思います。

結論も何もありませんが、感想文なので思うところを書いてみました。

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