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手羽なす

人の感じる感覚と呼ばれるものの中で

仮に『快』と『不快』と

その2つのみフォーカスしたとする。

おそらくその2つは
あなたにとっても非常に

分かり易い感覚だと想う。

そしてそのどちらかに
執着してしまうのも

人間であり自我が為す性質であり
自我が自我であるゆえの働きでもある。

昨今 断捨離や手離す。

という言葉による表現を
どの様に体感すればよろしいのか?

私の中でも出来るだけ
上手にその執着の状態から

自を解き放ちたいと躍起になってきた。

そしてタイトルに行き着いた。

『快』には感謝してその『快』が
自の外界に羽を広げ私の手から
飛び立っていき周りに派生し

あなたの何かを少し満たして頂ければ
幸いで

私の中の『不快』にも学びを得た
感謝を添えて羽を伸ばし私の元から
飛び立って頂こう。

すると不思議な事に私は空っぽに
なるかと想えば

また数分後のうちに

自ずと意識した訳でもなく

勝手にまた「快」であり「不快」であり
私のうちをノックし

また気付けば私のうちを占拠しているのである。

滑稽でならない。

がその一連の流れは
この世に生を受けてから

途切れる事なく私のうちにて
行われていた事であり

つまり当たり前の心の動きだ。
という事に氣が付く。

『氣持ち』というのは
読んで字の如く

『氣』の持ち様。持ち方。

であるとすれば

どんな氣を持っているかにより

あなたがあなたらしく今の一瞬を
過ごせるのか?

に繋がる事のように想うので

あまりにあなたにとって不必要な
感覚は手離すよりも

そっと手から感覚に羽を授け

空に御還ししてみてはいかがでしょうか。

あなたに必要なものは充分
もう学びや養分となっています。

羽を広げ飛び立った何かは
良くも悪くもなにかしらの

変化を外界にもたらす事でしょう。

もしあなたの手羽なす
『快』『不快』への周りの反応が
怖いのなら

あなたはそっと1人でそこに
『祈り』を添えれば良いのです。

あなたの感じた『快』は
喜びと楽しさとして空に舞い

あなたの感じた『不快』に祈りを
添えれば悲しみや怒りから得た学びが

平和への想いとして空に舞うのです。

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