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駅前のドトール

 駅前のドトールが好きだ。ここには色々な人たちがいる。ビジネスマン、学生、タンクトップ姿の初老の男性、ブレンドコーヒーに向かって独りごち、隣の男性が叩くキーボードの音に注意する初老の男性、ぼおっと虚空を見つめる初老の男性、まるで浮浪者と見間違うほどの身なりで、いつまでもコーヒーカップから指を離さない初老の男性……。結局のところ、僕はドトールが好きなんじゃなくてそういう孤独な男性が好きなんじゃないかと思う。そういう未来の自分がこうなっていそうな姿を見ると、なんとなく切なくて、どこか安心してしまう自分がいる。そういう姿を見て慰められているのだ、と思う。僕とあなたの孤独な共感。年齢違いの友情が始まってもおかしくない。お互い話さず、近づくことも絶対しないけど、僕が密かに集めている共感の欠片。

 やれやれ、どうして僕はこんな共感を集めているのだろう? こんなものは腐った汚泥でできていて、ポケットに入れているだけで本人すら腐らせてしまうような代物だというのに。つまるところ、僕は寂しいんだろうな。不特定多数のある場所で、しかし誰もこちらには興味を持たず、こちらはぼおっとそんな人たちを観察できて、なおかつそんな孤独な共感ができる場所。そんな駅前のドトールが僕は好きなのだ。

 綺麗で美しい女性が文庫本を読んでいるとおっとなる。思わず見てしまい、いったいどんな本を読んでいるのだろうと気になる。だって僕にとっての読書とは孤独でひねくれた人生の末路にある営みなのだ。そりゃあ本を読むのは好きだと言えるのだろうけれど、やっぱりそういう人たちの読書とは全然違う気がする。まともな読書好き。やれやれ、どこにでも「まとも」と「まともでない」という概念が存在する。

 カップルがいると、まぁ、そりゃそうなんだろうけれどはなる。でも、駅前のドトールにはカップル率は少ない。デートに来ているのだったらもっとお洒落で話題性のある(といったらドトールに失礼だけれど)カフェに行くだろうし、駅ナカのショッピングに疲れた場合は同ビル内にあるスターバックスの方に行く。どちらかといえば、老夫婦の方が見る機会は多い。朝の早い時間帯にいる老夫婦は概して落ち着いていて、理想的なおしどり夫婦に見える。また、白髪が綺麗な初老の女性、礼儀正しい初老の女性も来店する。一度、そうした人が丸形のテーブルにぽつんと置いたビスケットに手を合わせ、お辞儀をしたのを見たことがある。ドトールでそんな光景を見たのは初めてだった。あまりにもありがたそうに食べるので、まったく関係ない僕自身が恐縮してしまうほどだった。ドトールは席代を取っているだけなんて意識でいた自分を恥じてしまった。彼女にとって何か特別な日だったのだろうか。月に一回――いや、年に一回許された外食とかだったのだろうか。その育ちの良さを、いつまでも持ち続けられていることが信じられない。

 座席を拭く店員に声をかけ、優しい笑顔を向ける初老の女性……なんだか、初老の男性の一人客より初老の女性の一人客の方をものすごくひいきしているみたいだ。まぁ、でも駅前のドトールに行ってみればそれはよくわかる。実際のところ、初老の男性の一人客でまともな人種を見つけるのは、街中で安全運転を心がけているプリウスに出会うくらい確率が低い。

 もちろん、若くてまっとうな若者もいる。そういうタイプはほとんどが勉強に勤しんでいる。大学受験かもしれないし、医大生のルーティンかもしれない。友人同士でドトール、というのもあまり見かけない。ドトールとはそういう場所ではないのだ。駅前のドトールに関して言えば、一人客の方がよく見かける(といっても、時間帯によってはもちろん家族連れや大人数の来店もみかけることもある)。一人客だらけの空間は心地良い。誰もが自分の目的を果たすためにいるし、僕は背景と同化できる。こういう孤独の共感なら、まぁ、いいほうだ。もちろん彼らは孤独を選んでいるのであって、孤独に選ばれているわけではない。それが僕と彼らの違いだ。

 白いシャツが似合うイケメンの若者は集中力がある。Bluetooth対応のイヤホンをつけ、わりとずっと勉強している。目的がはっきりしているのだ、と僕は想像する。日常のメリハリがあって、自分で決めたノルマをきっちりやれるタイプなのだ。もちろんずっとスマホを見ている学生もいる。彼らはその他の有象無象として映るが、いつまでもペンを持ち続けている君はどこかかしらこの空間で輝いているように見える。だって目の輝きからして違うし……。この空間にいるときの君は、孤独を選び、勉強を選び、自己研鑽に励んでいるのだ。夏真っ盛りの日差しは、君を待ちわびて熱く照り続けている。

 回転、回転……人々は入れ替わり、時間はあっという間に進む。アルバイトは入れ替わり、注文される品目も変わっていく。店内はいくらか騒がしくなり、ピークを過ぎ、夜になれば朝と比較すれば雰囲気はわりとがらっと変わってしまう。一度くらい、駅前のドトールに一日中居座って、人間観察できたら面白いだろうなと思う。まぁ、そんなことを思っている時点で全然まともな人間のやることではないのだが。

 ここは駅前のドトール。あらゆる人たちのあらゆる声を聞ける。あらゆる人生を想像し、あらゆる偏見と脚色を獲得することができる。あなたもきっと、あなた自身の駅前ドトールの哲学を知ることができるだろう。

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