β-234 かいかいきたん
楽曲を軸にさまざま書いていくシリーズ、第12回はEveさんの「廻廻奇譚」です。
現在、金曜深夜のMBS/TBS系列のスーパーアニメイズムにて深夜1:25から放映されている「呪術廻戦」のOPテーマです。
「呪術廻戦」は週刊少年ジャンプで連載されている芥見下々先生の"呪い"を軸としたバトル漫画で、個人的には「アニメ化したら、作画次第だけど跳ねるかもしれない」という作品でありまして。
そうは言えど、鬼滅の刃よりは跳ねないと思うけれど、大ヒットまでは求めていない。
作品の奥深さがわかればわかるほど面白い作品であることは間違いないと考えている。
もちろん、先人の作品で魅了されていた方にとっては、あんまり興味を示さないとは思うけれど。
呪術を廻って操って戦う、というタイトル通りの漫画ではあるけれど、どう戦いが繰り広げられるか、経緯はどんなものなのか。
まだまだ入口の部分なので、コミックスも含めて、その世界に入り浸りたいと思っている、こうした作品は久しぶりのように思える。
以前少し書いております。
詳しくはこちらより。
さて、歌詞のほうに向かおう。
Eveさんも連載当初からよく読んでいらっしゃった作品だったそうで、アニメ化した時は素直に喜んでいたそう。
でも、その時には主題歌のお話は無かったとのこと。
ご本人もファンだからこそ、こうした歌詞を散りばめたのだろうなと。
でも、数回聴いてもよくわからないというのが正直な感想。
そうは言えども、2クールの半分が終わる。
きっと作品そのものもちゃんと見てリンク付けしないと、語ることはおろか騙るのも難しい。
そこでMVを交えながら、考えていこうとしようかな。
MV自体が公式MADなんだよなと。
第8話直前に公開されました、それから約1ヶ月。
再生回数2000万回超えは立派なものです。
まず、冒頭の有象無象 人の成り 虚勢 心象 人外 物の怪みたいだ 虚心坦懐命宿し あとはぱっぱらぱな中身無き人間。
ここで躓く。
虚心坦懐とは、先入観を持たず広く平らな心という意味を持つ。
虎杖悠仁のことだろうか。
そして冒頭は呪霊のことを指すのか、人間のことを指すのか、呪術師・呪詛師を指すのか、よくわからない。
寄せる期待 不平等な人生はきっと伏黒恵だろうなあ。
「恵」という名をつけた父、なんら罪のない姉が肝試しに参加したばかりに眠ったままにさせられてしまった、伏黒家として、呪術師として寄せる期待もきっとあることだろうし。
怨親平等に没個性、敵味方関係なく対処して、個性無きままに記憶をたどってみるが、僕に居場所なんてない。
なんか、現代社会でもそうした方々を生産しているような気がしないでもない。
夢の狭間で泣かずに、どんな顔をすればいいかはわかる。
でも、応えてほしいものもある。
応えさせるためには闇を祓って夜の帳が下りたら合図だ。
相対して廻る環状戦、ここで"廻戦"となるのだろう。
戯言は吐き捨てて、まだ止めないで、いまは呪い呪われし僕の未来を創造して、走って転んで消えない痛み抱いては、世界が待ってるこの一瞬を―
虎杖悠仁がこのサビパートでよく出現してくる。
1000年に1人の宿儺の器として、世界(特に呪術界)が待ってる逸材なのだろうか。
個人的に待っているのは幼魚と逆罰篇のゲラゲラなんですが。
アニメだと12話、まさに今夜出てくるかというところではあるけれど。
2番、抒情的感情が揺らいでいくバグ、従順に従った欠陥の罰とは、恐らくいまアニメで行われている幼魚と逆罰篇のキーパーソン、吉野順平だろうなと。
なんとなくね、違うかもだけど。
ただ死守選択しかない愛に無常気、声も出せないままというのがどうにもそれっぽくもあって。
傀儡な誓いのなき百鬼夜行、この百鬼夜行で出てくる夏油は、恐らく偽。
本物は0巻読めば、どうなっているかはわかる。
正体は恐らく・・・そうだろうなとは感づいているけれどね。
数珠繋ぎなこの世の果てまでも、ここで"呪術"が見え隠れ。
さらに、「呪術凪」とも読み取れるかの如く、直後に「凪いて」が。
極楽往生現実凪いて命を投げ出さないで、内の脆さに浸れだとよ。
どんな顔すればいいかわかんないよ、そりゃわかんないし、応えてくれよ。
それには、ひとまず五常を解いて、不確かなイデアで声を紡ぐ。
五常とは仁・義・礼・智・信を指すようで、五条悟の名もここから来たのだろう。
2番サビでは、紡いだイデアを相殺して、廻る感情線となっており、「相対」と「相殺」、「環状戦」と「感情線」で対になっている。
MVでは五条悟の活躍が中心となっているので、恐らく五条悟視点での虎杖悠仁の目線なのかなとばかりに。
強くなければ死に方さえ選べないから誰よりも強く在りたい虎杖悠仁の運命すら、いまはまだ仄暗い夜の底に深く落ち込んでいる。
不格好に見えたかい これが今の僕なんだ 何物にも成れない ただの屍だ嗤えよ
呪胎戴天での虎杖悠仁とどうしても重ねてしまう。
でも、幼魚と逆罰篇で、その次の目の前の全てから逃げることさえやめた―
逃げることをやめ、イメージを繰り返し、想像の先へ行こうとする。
そして大サビへと向かう、1番サビと共通歌詞。
そして、演奏終了。
というように、なにも考察できていないような気がして。
黒閃を経験しなければ、把握できないのだろうか。
ただ、虎杖悠仁を中心に展開しており、楽曲における"歯車"になっているのは間違いない。
それは、非術師でもわかるのかもわからない。
なかなかに難解な歌詞を紡いだなと感じるあした・の・β<ベータ>でした。
ここまで読んでいただいてありがとうございます(人''▽`) 間髪入れずに言ってみますか・・・ よろしければ!でもまさかね・・・