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(短編小説)露天商

小学三年生になる息子が小さなカメを買って来た。
学校の帰りに露店商で買ったらしい。少し茶色っぽい黒い色。
イシガメとかクサガメとかいうのかな。外国のカメかもしれん。
息子はそいつを水槽で飼い始めた。中に石や砂利を入れ、水を少し張ってある。
まあ人間で言えば六畳―間という狭い室であるが、そのカメは水槽の中を がさごそと走り回ったり、せわしけに泳ぎ回ったりしている。なかなか元気がいい。

カメは何でもよく食べた。
野菜の残リ屑。魚のアラ。米のめし。炊いてあろうが焼いてあろうが何でも食べた。
俺の妻も息子と―緒に、かわいいわねえなどと言いながら食パンをやったりしていた。 とにかく何でも食べた。そのぶん、どんどん大きくなる。普通、露店で買ったこういう小動物というのは すぐに死んでしまうものだが、こいつは違っていた。 めっちや元気である。
それよりも成長のしかたが異常である。買ってきた時はマッチ箱ほどの大きさであったのに、二週間で俺の手のひらくらいになった。 これはイシガメなんかじやないな、南米産のカメだろうか。まあ、あっちにはいろんなカメがいるからなあ。
しかしこんなに大食いで成長のはやいカメなんて今まできいたことがない。
そういえば足がみょうに長い。
おかしいなと思ったが、こんなことを妻に言ってみたってしょうがない。だいいち俺の妻はこういう動物に関しての知識が全くない。 妻に言わせればイモリでもヤモリでも特別天然記念物のオオサンショウウオでさえトカゲなのだ。 野原にいる虫はクツワムシでもキリギリスでもみんなバッタと呼ぶ。ましてカメなんぞは海ガメと、その他のカメという区別しか彼女にはない。 だから、息子が買ってきたカメがどんなに成長がはやかろうが手足が長かろうが知ったことじやないのだ。
妻がそうであるからして小学二年生の息子にその異様さが分かるはずがない。カメは一日一日、目に見えて大きくなっていく。

こいつはいったいなんだ。
アサガオのツルじゃあるまいし、梅雨どきのタケノコじゃあるまいし、こんなにどんどん大きくなっていいものであろうか。
大きくなって喜んでいるのは息子だけであった。俺が会社から帰ると、息子は必ずカメを水槽から出して畳の上で―緒に遊んでいる。タ食の時もカメと―緒に食べるんだと言うしまつ。 さすがにこれに関しては妻に怒られてカメと食事を共にする事はなかった。しかし、食事がすむと―緒に風呂にはいるし、夜の十時頃までそのハ虫類とテレビを見ている。 その時のカメは息子に抱かれて煎餅をかじったりしている。
息子は自分の最たる友人のごとくカメを可愛がった。カメも異様であるが息子も異様であった。
そうこうするうち、カメはまたまたでかくなった。水槽の中に入れると動くスペースがない。そして、長い足を使ってすぐにはい出してくる。
その時のカメは、なにか笑っているような顔をした。無気味だった。その頃からカメは息子と同じ布団で寝るようになった。

息子がカメを買ってきてから一カ月ほどたった。
その日は日曜日だった。朝の早くから息子はカメと遊んでいる。時々何か話しかけたりしている。
カメと話しができる。まさか。いくらなんでもそれはないだろう。俺は起きたばかりで、コーヒーを飲みながらその光景を見ていた。カメは甲羅が40センチ以上ある。 最近、特に成長がはやくなったようだ。前にも増して足が長く見える。
こんなものをよくも家の中で伺ってるもんだ。息子はあんなに喜んでいるが、これ以上大きくなったらたまったもんじやない。 食事だってばかにならない。大人の―人分は喰ってるだろう。いや二人分は喰ってるだろうか。可哀想だが近いうちにどこかの川に捨ててこよう。 いや、川に捨てたりしたら生態環境に影響してしまうか、それなら動物園にでも相談するか・・・。
それにしても無気味なカメだ。
そういえば頭の形がカメらしくないな。どこか二ワトリに似ているし、頭、足、尻尾が妙に白っぽくなってきた。
底に残ったコーヒーをぐいと飲みほし、散歩にでも出かけるかと思った時、俺はカメが二本足で歩くのを見てしまった。カメが立って歩いた。
なんてこった。
前足でひょいっと反動をつけて立ち上り、ひょこひょこひょこと畳―枚分くらいを歩いた。 歩いた。あるいた。カメが歩いた。二本足で歩いた。ひょこひょこ歩いた。俺はうわ言のようにつぶやいていた。
「お、おまえ。このカメ。学校の、帰りに。買ったと言ってたが。いったいどこで買ったんだ」
「学校の帰り」
「そりや分かってる。いったいどのへんだ」
「分んない。忘れた。道ばたで売ってた」
「忘れたって、おまえ。まあいい。それじゃ、どんなおじさんが売ってた」
「分んない。忘れた。忘れたけどカッパみたいな顔をしたおじさんだった。おじさんじやなくって おにいさんだったかもしれない」
「カッパみたいな」
「そう」
俺はあらためて今 息子に抱かれている、でかいカメを見た。
カッパ。かっぱ。河童。こいつはカッパだ。絶対にカッパだ。間違いなくカッパだ。
「カーッカッカッカッ」
「なに言ってるの、おとうさん」
「カッカッカッカ。カッパだあ、そいつはカッパだあ早くすててこい。化けもんだあああ。わぁ。こっちへつれてくるな」
「このカメは化け物じやないよ」
「わ、わかった。わかったから、あっちへつれて行ってくれ」
二階のべランダで洗濯物を千していた妻が俺の大声をきいて階段を降りてきた。
「なに言ってんのよ大きな声で。そのカメがどうかしたの」
「カメじやない。カッパだカッパ。そいつはカッパなんだ」
「あ、そう]
そう言うと妻はまた洗潅物を千しに二階へ上っていく。 そして階段の中ほどに立ち何か考え事でもしているようであったが、ぎゃああという悲鳴と共に階段をころげ落ちてきた。
その時その怪物は俺の顔を見て、にやっと笑った。

それからまた―週間。
そいつは完全にカッパになった。
体はひょろっとしていたが身長は俺より少し低いくらいで、この分だと二、三日で追い越されてしまうのではないだろうか。 そうとうに知能が発達している。俺の服を勝手に箪笥から出して着ているし冷蔵庫の食べ物も勝手に食べる。テレビも勝手につける。しかも、好んで二ユースを見るのだ。
時々「ぎょっぎょっ」という気持ちの悪い鳴き声を発する。そして、なにもする事がないと昼寝をしている。
カッパは外へ出ない。ずっと家の中にいた。お客が来た時は押し入れの中に隠れる。なぜか俺達家族以外には顔を見せようとしなかった。
なんとかしてあいつを追い出さなければと思った。
無理であった。
どうして追い出そうかと妻に相談をしていた時なんか、カッパはそうっと音もたてずに近ずいてきて俺の顔をじっと見つめた。
ぼくを追い出そうとしてもダメだ。やるならやってもいいが、後でどんなめにあうか知らないよ。カッパの目はそう言ってた。
警察に電話をしようとした時もそうだった。 後ろから忍び足で近ずいてきて、ぬっと顔を出すのだ。あの目を見てしまうと体が震えてカが出なくなる。カッパば魔性の目をしていた。

あいかわらず息子とは仲がいい。
困ったものだ。仲よくするなら人間と仲よくしてくれ。あいつは化け物なんだ。息子は化け物の手先になったのか。
時々ひそひそと何か話している。やっぱり息子はカッパと会話ができるらしい。どんな話しをしているのか分らない。俺とか妻の前では、ただ無邪気にふざけあっているだけであった。
だれか助けてくれ。このまま呪われた生活がつづくのであれば俺達がこの家を出ていくしかない。いや、そんなことをしたってこの化け物は俺達にどこまでもついて来るにちがいない。

カッパがいなくなった。
あの悪夢のごとき生活がこんな結末で終ろうとは思っていなかった。突然いなくなった。
なぜだ。
ばかな、そんなこと考える必要があるか。とにかくカッパはいなくなったのだ。
俺の上下の背広とワイシヤツが無くなっていた。たぶんあのカッパが着ているのだろう。ひょっとしたらと思い、下駄箱をのぞいてみると俺の靴が一足無くなっている。

あのカッパが警察につかまって、着ているものが俺の服だと分かったとしても総て今までのいきさつを話すしかない。信じてくれるか信じてくれないかは、またその時のことだ。
どっちにしたってあの化け物はこの家からいなくなった。もうあの悪魔のような目を見ることはない。妖怪のごとき笑い声を問くこともない。
ただ、カッパがいなくなって息子がどんな行動をとるかが心配であったが、不思議な事に息子はそんなに驚かなかった。カッパが突然、姿を消したのに割と平然としている。 息子はあっちこっちの室を探し「カッパ、いなくなったね」と言った。ただそれだけであった。泣きもしなければ、必要以上に探し回ることもしなかった。
化け物であったが、あれでも息子の友達だったのだ。辛い気持ちを我慢しているのだろうか。いや、これも深く考える必要はあるまい。何がどうであれカッパはいなくなったのだ。家庭に平和がもどったのだ。

だがまてよ。息子が小さなカメを買ってきてこから数ケ月間、悪夢のまっただ中にいるときは考えてもみなかったが、露店でカメを買ったのはうちの子だけではないはすだ。 学校帰りの道に店を出してたというから、たくさんの子供が買ったにちがいない。そこの家庭ではどうだったのだろう。そのカメはやはりカッパになったのだろうか。 うちと同じように恐ろしいめにあったのだろうか。それとも、うちの子がたまたま―匹まじっていたカッパを買ったのだろうか。
息子にきけば分かるかもしれない。
しかし、息子に尋ねるのはためらいがある。カッパと仲のよかった息子を思い出すと怖くなってしまう。せっかく"普通の子供"にもどったのだ。 今さら、またぞろカッパの話をすることもないだろう。それこそ寝た子を起こすという言葉通りになってしまうではないか。
この町に何匹ものカッパがこっそりと棲みついているなんて想像しただけでも背中が寒くなるが、だからといって俺に何ができるというんだ。 俺の家庭が平和であれぱいい。俺の家族が幸せであればいいじやないか。そうだ、俺の考えのどこが間違っているんだ。
これでいい。他の家庭のことなど心配することはない。

カッパのことなど、ほとんど忘れていた。
思い出す時があっても恐柿と共に記憶がよみがえってくるということはない。あれは本当に夢だったのではないか。そうだ、夢だったのだ。
あんな馬鹿げたことがこの世に有り得るはずがない。このハイテク時代にカッパなどという空想の漫画ごとき生物がいるはずがあるか。
俺の頭の中には確かにあのいやらしいカッパの姿形は記憶されている。 だけど毎日会社で忙しく働き、今こうして満員電車に揺られながら我が家へ帰っているごく普通のサうり―マンにとってはあんな奇っ怪な出来事は"嘘"とか"冗談"に変形しなければならなかった。
普通のサラリーマンが普通のサラリーマンであるためには異様な体験は不必要であり、邪魔であった。
俺は無意識のうちに、そして強制的に自分を普通のサラリーマンに仕立てあげているのだ。 これも我が身を守る人間の本能であろう。妻は妻で、忙しく家の仕事をやることで"普通の妻"になれるのだ。以前、俺の家にはカッパが棲みついていただって? そんなばかな。嘘だ。ジョークだ。
俺はどこにでもいる普通のサラリーマンたぞ。疲れた体で電車通勤している普通の人間だ。どこにでもいるこんな平凡な人間には平凡な人生が与えられていてこの平凡こそが幸せというものなんだ。 俺は時には仕事の不満も言う、ごく普通のサラリーマンとして自宅の最寄リ駅を降りた。そして、ごく普通のサラリーマンとして、他のごく普通のサラリーマン達と同じように我が家へと足を向けた。
駅前の商店街を抜け、信号を渡った。

あの男は、今日も同じ場所で店を出していた。
三日ほど前から男はここで露店をやっている。たくさんの水槽を歩道にならべていて、その周りには子供達が集まっている。
水槽の中にいるのは、ちょっと茶色っぽい黒いカメだ。
その露店商の男は、俺のシャツと俺の背広を着ている。
そのカッパのような顔をした男と目が合いそうになった。俺は急いで顔を伏せた。
そして俺は、ごく普通のサラリーマンとして、その場を通り過ぎた。

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