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「苦手」の箱を開けてみたら起きたこと

皆さんは苦手なことってあるだろうか。
人前で話すこと、読書、語学、人、運動、高いところ、などなど、誰にしも何か一つは「苦手なこと」はあるのではないだろうか。

私の「苦手なもの」の筆頭は「運動」


この歳になるまで逆上がりは1回もできたことはないし、二重跳びも生涯でMAX3回、走る、飛ぶ、蹴る、(投げるは行けそう)など、「運動」の基礎となるものは苦手だし嫌い、とにかく身体能力が低い。

体育の成績も(実技は)良くなかったし、フルマラソンどころか5kmでも走れる人は大尊敬、数年前に始めたゴルフもスコアが伸び悩んで休んでいる。スポーツを観るのが好きなのは憧れの裏返しなんだと捉えていた。事実、テレビを観ながら「あんなに野球がうまかったら楽しいだろうな〜」ってよくつぶやいてる。

これは生まれ持ったもので仕方ないと思っていて、「運動」(身体を動かすこと)は生まれてこのかた48年間「苦手」以外のなにものでもなかった。


越境して「苦手」をやらざるを得ない状況に

そんな私が、自分で好んでミュージカルに出ることになった。
そのきっかけや経緯は、stand fmで話しているのでそちらに譲るとして
とにかく本番に向けて

「ケガをしない身体」
「90分×2公演をやり抜く体力」

を手に入れる必要が出てきた。そのために始めたのが筋トレ。
「苦手」の箱に入れていた「運動」をとり出すことになった。


「苦手」をやってみたらどうなった?

そんなこんなで「苦手」をやってみたら、どうなったか?

実は「苦手ではない」ことがわかった。(ナンジャソリャ)

ただ、やり方を知らないだけだった。

私が幸運だったのは、トレーニングを始めるにあたり紹介してもらったパーソナルトレーナーさんがすご腕だったこと。
「コンディショニングトレーナー」というらしく、ただ筋トレをするというよりクライアントの状態をしっかり把握して、心身ともにコンディションを整えていく専門家。
で、私の身体の状態や使い方のクセを見抜いてくださり、必要なトレーニング法を教えてくれた。
まずはやって見せてくれて、その後一緒にやって、自宅でのメニューを考えてくれる。

そうすると

「できる」→「効果が出る」→「続く」→「褒められる」→「やる気が出る」→「続く」→「効果が出る」

のサイクルが回る回る。くるくる回る。


魔法の言葉


ミュージカル公演が終わった後も定期的に通っているトレーナーから何度もかけてもらっている魔法の言葉がある。

「運動が苦手だったなんで信じられない」

言葉で伝えればトレーナーが求めている動きができるし、
弱音を吐かない。自分で意図を持って取り組める。
これで運動が苦手だったわけがない、というのだ。

自慢話でもなんでもないし、魔法の言葉ですぐにスポーツマンに変身するわけではないのだけれど、それだけ主観と客観に差がある。つまり、自分で勝手に「苦手」の箱に入れていたということだ。そう、自分で「入れていた」のだ。

思い起こせば小さいころはとにかく身長の割に体重が重くて、動けなかった。
「ぽっちゃりさん」なんてものではなく、
保健室の先生に呼び出されて(健康状態を)注意喚起されたり、
学年で一番おっきかったMくんから「お前の太もも、太いよな」って言われたりするほど。

今考えると、そんな経験からとにかく自分の身体にコンプレックスを抱えていて、「身体を使う」を「苦手」の箱に入れて、見ないことにしていたんだな、って思う。

このように、人はさまざまな経験に意味づけをして、自分の思い込みをつくりあげていく。
NLP的には「プログラミング」というし、CTN的には「パラダイム」となるのだろう。

たとえば高所恐怖症しかり。
高いところから落ちた経験から、高所=恐怖と結びつけてしまうのだ。


「苦手」の箱を開けてみたら起きたこと


「苦手」を箱から取り出してやってみたら、まず自己肯定感が高まった。かなり。
もともと「運動」に対する自分の認識レベルが低いので、ちょっとできただけでも「わたし、できるじゃん」てなる。
そのうえ、わたしの腹筋は素直でトレーニングするとすぐに応えてくれることにも気づき、苦手どころか「腹筋」は「得意」の箱に入っていった。

「苦手」そして「やる」のおすすめ

一般的には「苦手なことはやらない、近寄らない」が通常のルート。特に大人になると、もう苦手なことで勝負しようなんて思えない。
ただ今回の経験でわたしは「苦手」≠「できない」ということを体験した。
もうわたしの中で「運動」≠「苦手」≠「できない」となった。
そうなると、他の「苦手」も「本当にそうなの?実は自分の思い込みかもよ」って自分に声かけてあげられる。

NLP的にはプログラミングを書き換えて、CTN的にはパラダイムシフトしたと言えると思う。

おすすめポイントは

×「苦手」だけど「やる」
「苦手」そして「やる」

「だけど」と苦手を力づくで克服しようとすると力が入りすぎて「やらねば」「克服せねば」になる。
いっぽう、「そして」だと「苦手」を受け止めて、そのままの自分でやっていける。

自分のなかの「苦手」は本当にそうなのだろうか?
「苦手」=「できない」は本当なのだろうか?

たまにはそんなことを自分に問いかけてみてはどうだろうか。











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