5月30日 僕は死んでいたかもしれないと仮定した
9ヶ月の間、僕はただ家に引き篭もる生活をしていた。
去年の8月末に適応障害で休職し、12月末には退職することになり、今の今まで僕は何もしていなかった。
3年前から原因不明の体調不良に悩まされていたという背景あっての適応障害だったので、適応障害が治った時に一度綿密な検査をしてもらおうと決意した。
そして、僕の病状には外傷性動静脈瘻という名前がつくこととなった。それに対するカテーテル治療を行ったのが今年の1月で、その治療は初めて僕の病状に対して効果的に作用し、若干ではあるが体のだるさや手の強張りが軽減されることとなった。
しかし、効果てきめんという訳ではなかった。そういう事情もあって2回目のカテーテル治療を4月に行ったのだが、こちらは体調に対する作用が全く認められなかった。
この時点での体調では、やはり社会復帰はまだ難しいだろうという感覚だった。あまりにも体調に波があるし、体は基本的にだるい。
これでは埒が開かない、別の病院でも診てもらおうと思い、今月に入って近所にある整形外科に通うことにした。そこでは外傷性動静脈瘻に対する治療として点滴治療を勧められた。
その治療によってようやく、社会復帰できると実感できる体調にまで回復することができた。
ただ、体の感覚としては身体的な違和感は相変わらず残っているし、完治はおろかこれ以上は良くならないだろうなという予感はしている。
外傷性動静脈瘻は珍しい病気らしく、かつ僕に生じた部位がさらに稀有なものであるから、まだまだ治るまでの道筋は遠いのだろう。
そもそも、なぜ外傷性動静脈瘻ができたかを考え、僕は結構大きめの血管を損傷していたのだろうという推測をした。3年前、体の中でプチンジュワーという感覚が生じ、そこから体が動かないくらいに体調が悪く、死をイメージするくらい苦しい状況になった。入院することにはなったが、原因は分からず、その日から僕の体調は戻らなくなった。
メンタルの病気だと言われ、ずっとその方面での治療を受けていたが、それでも良くならず、MRIを撮ってここ数ヶ月になってようやく血管の異常が見つかったのだ。
そして、すべての症状が綺麗に論理立てて推測できるようになった。
僕は3年前に血管系の損傷を起こし、一時的なショック状態になった。しかし、それはMRIで撮らないと分からないくらい内部にある血管での損傷だったので軽めの検査では異常が見つからなかった。血液検査の炎症反応はあったが、そこはなぜか触れられなかった。しかし、それは血管付近での炎症があったのだろう。
血管の損傷によって、周囲の臓器の動きが悪くなり、体が冷えるようになり、手が常に強張るようになった。
あまりにもその状態がストレスだったのだろう、だから心療内科の薬を服用すると体調がマシになり、仕事のちょっとしたストレスだけで適応障害になったのだろう。
血管の損傷について調べると大動脈解離がヒットするのだが、そこで書かれる内容はまあ絶望的なもので僕は今生きているから大動脈解離ではなかったはずだと思う。
でも、僕の痛みは大動脈の周囲にあって、ショック状態や体の不調の点においては驚くほど似通ったものがある。
そして、僕はこう考えた。僕はもしかすると死んでいたのかもしれない。
体調が悪いにせよ、今生きているのは奇跡なのではないか。そう考える方が僕は自分を納得させることができる。
外傷性動静脈瘻は治療が難しいらしい。そしてもし、それが大動脈に関連するものだったら完治は難しいだろうと思う。
絶望的な気持ちにはなる。
でも幸運にも生きることができたのであれば、絶望するのでなく、何とか生きることを考えようと思える。
今はさらに幸運なことに体調もだいぶマシになったのだ。
死んでいたかもしれないんだから、今生きていることを受け止めて、前に進むしかないんだと思う。
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