1月23日 スキャンダルに関して僕の持つ嫌悪感

芸能人の不祥事がマスメディアによって暴露され、それに私たちが石を投げ合うという構図を、ここ最近のXで頻繁に見るようになった。

僕はそれを見て、芸能人の不祥事そのものよりも、問題を着火させるマスメディアと火を煽る私たちの姿の方が余程醜く映る。

別に何を言うのもその人の自由だけれど、少なくとも僕は不祥事に首を突っ込めるほど崇高で無謬な人間ではないなあと思っちゃう。

これは聖人じゃなきゃ批判をしてはいけないという意味でもなくて、聖人だったら批判してもいいという意味でもない。難しい。

僕個人の問題として、Xのような誰でも見られる空間上で誰かを批判する勇気がないというだけのことかもしれない。

うーん、批判されるようなスキャンダルを起こすその人自身にも問題はあるとは思う。けれども、それ以上に他人の粗を探して自分を正当化する人々に対する嫌悪感の方が強いのかもしれない。

しかも、スキャンダルをすっぱ抜いてる人たちは正義感からではなくてお金の為にそれをやってるわけでしょう。

それがお金になるのは、私たちがそういったスキャンダルに強い興味関心があるからということでもあるわけだけど。

直接のやり取りであーだこーだ討論するのは良いと思うし、政治問題とか個人の生活に関わる事柄は人を巻き込んで問いを投げかけることもいいと思う。
そこには間違いや偏見もあって構わないような気がする。

けれども、公然の場で誰かを断罪する時にそれが正しい断罪なのかというのは一度立ち止まって考えなくてはいけないと思う。

うーんでも難しい。不祥事に批判する人の気持ちも分かるから。やらかした人に対して僕も心の中で思うところはある。僕自身がnoteでこういうことを書いているというのは矛盾しているような気もする。

まあ、人間ってそんなもんなのかなあ。

芸能関係のスクープでは金銭のやり取りを全て禁止したらいいのになあ。タレ込む側も報道する側も。それなら、声をあげる人に金銭的な意図は無くなるし、それを広く伝えるメディアにも倫理性が担保されるような気がする。でも、それは理想論に過ぎないよね。
そんなことしたら誰も報道しなくなるか。

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