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辛いことを我慢するって美徳じゃなくない?



辛いことを我慢する性質が自分にはある。
日本では美とされてきたもの。
そうやって育てられてきたもの。

でもこの令和の世界、それじゃあ生きていけないらしい。

仕事と我慢という美徳

年号が令和になって数年が経つ今日、定年まで働くことは当たり前ではなくなってきた。
転職することも当たり前だし、現に同期の半分は既に居なくなっている。
自分のやりたい事をやるとか、スキルを身につけて求められる人材になるとか、そうやって生きていくことが流行っている。というか、そうじゃなきゃ生きていけなくなりつつある、ような気がする。だっていつクビになるか分からない世の中だよ。

そういうときは、自分の強みだとか、特技だとか、やりたいことだとか、現職での不満がなんだとか、そういったことを明確化する作業をすることになる。
ここで問題にしたいのは、最後の、現職での不満がなんたるかといったあたりだ。
何が辛いんだろう、どうなったら自分幸せに生きられるかな。
これを見つけるのが私にとって至難の業なのである。

我慢教育 いらんくね?

自分の気持ちに気づくのが苦手な自負がある私、辛いことがあっても耐えて耐えて過ぎ去るのを待とうとしている。
自分もなりかけた、というかたぶんなってたけど、適応障害とかうつ病とかってそういう過程を経て発症してしまうわけでしょう。
これって自分の心を守るために逃げることが悪だとされた結果、我慢することを覚えてしまった、そういう風に教育されてしまったってことじゃないかと思う。

休むことを許されない家だった。
保育園を家族ディズニーで休む友達を羨んで仕事ばかりの父親と遊びたくても、
学校で友達がいなくて辛くて学校に行きたくないって騒いだときも、
本気でプールを爆破する方法を考えるほど水泳の授業が嫌で思い悩んだときも、
隣家の火事が燃え移った日の夜の塾も、
いくら悩んで悩んで悩んで泣いて泣いて泣いても休むことも逃げることも出来ずに状況はなんにも変わらなかった。
とはいえ学生時代なら授業時間とか、2年ごとのクラス替えとか、時間が定められているから、絶対に時間が解決して辛さは居なくなる。

そしてそのまま大人になった。
大人の世界は、自分で決める世界だった。
辛いなら辞める。逃げる。変えたいなら変える、自分で変える。そうしなきゃずっと解決しない。だって会社は同じような体制のままずっとそこにあるのだ。
でも逃げる方法を知らない私、今も辛い気持ちのまま耐えている。


なんでずっと辛いままなんだろうと思ってた。自分を助ける方法を知らないからだ。

自分の心を助けてあげたい。
自分が社会の役に立っていると思いたい。
そうじゃなきゃ生きてけない。

自分を発散してあげて、感情に気づくところから、
いやなことはいやだって、すきなものはすきだっていおうね。

第二新卒、って言える間に、あと一年の間に、(そしたらどうなっても多分動きやすさが大きいから)
どうやって生きていくか見つけられたら、いいな。

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