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25歳、ゆるめのOL、日々修行。

実家の室温が高すぎて
東京の一人暮らしに戻れない
こんばんは、あかりです。

2024年を迎えて思ったこと
毎日、修行。これです。
ちなみに、お母さんは
毎日、正月。と言ってました。じわる。

修行という言葉が正しいかどうかはわからんけど
結局、毎日の中で精進するしかなくて
毎日の一つ一つに全てが詰まっているような
そんな感じでいます。

毎日を繰り返すということ
東京で一人暮らしをしてると
なんだか寂しさを埋めるみたいに
いっぱい予定を詰めて
毎日の繰り返しが
毎日の繰り返しに見えないような
そんな過ごし方をしてる気がする。

半年ぶりに地元の友達に会って
半年以上の時間の流れを感じた
人は毎日の積み重ねで
自分の濃度を高めていくというか
むしろ弱めていく人もいるというか

なんていうか
ほんまにびっくりするほど
変わっていく
その人になっていく

それが悲しくもあり
驚きでもあり
大きな流れを感じたりした。
そんな25歳、冬の学び。

家族と過ごしたり
ずっと前から知ってる友達と過ごすと
東京で生きてる時には、あんまり出会わん
心の動きに出会うことに気づいた

1ヶ月くらい前から
「怒り」という感情がテーマなんやけど
心を許してたり、気を使ってなさすぎたり
あまりに自分ごと化されすぎてたり
あるいは、それらの真逆だったりすると
怒りという感情が芽生えることに気づいた
(つまりなんでも芽生えてるやないかい)

怒りってすごいエネルギーがある感情やから
心がどこにあるかすぐわかるし
なんというか動いている感じがする
そして何より
感情をおさめるまでの過程がむずい

むずいと感じるたびに
修行の身にあることを突きつけられ
修行の余地があることを
絶妙に嬉しく思いつつも(誰)
あ〜〜まだまだやなあと感じる

25歳がもうすぐ終わる

わたしが目指したいあり方は
ただ、日々を、
なだらかにどっちでもいい〜
というスタンスで生きること
ふわふわと、芯はあるけど
ひょんなところに飛び込めるような
そういう感じでいたいねん

そういうのって、毎日の、日々の中でしか
やっぱり身に付けられないような
絶妙な力加減やったりするし
なんというか
繰り返しのくせに、小さなイレギュラーがある
この日常の中で
細かく細かく丁寧に
磨かれていく部分な気がするねんな

だから何、ということを書いてしまった
いつもの如く

あとちょっとで25歳が終わる。
若いような、若くないような
早いような、早くないような
もう26歳かというような。

運命に委ねられるだけの
しなやかさを
流れに乗れるだけの
大胆さを
どっちでもいいと思えるだけの
ゆとりを

明るく抱きしめながら
生きていけるといいなと思います。

てか、一旦、「日々修行」
って言ってみてほしい。割となんでも
いいことしてる気分になれます。

インドで1ヶ月、瞑想やらヨガやらしてた時から
ずっと感じてるけど

日常こそが全てで
だから、日常って本当は
めちゃくちゃ難しくて
それだけポテンシャルを秘めた存在で
だから、毎日に、日常に
あーだこーだとしごかれながら
生きていこうと思います。

なますて〜


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